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多摩と武蔵野

東京都の面積のおよそ半分を占める多摩地域。古代には武蔵国の国府が置かれ、江戸時代には将軍の鷹狩りの場となり、幕末には新選組を生みました。そして明治、多摩は「東京の水を守るため」に神奈川県から東京へ移ります。23区とはひと味違う、もう一つの東京の歴史です。

ラベルの意味:史実記録で裏づけ 有力説多くの研究・資料が支持 伝承言い伝え 都市伝説噂・地元の語りぐさ

府中と国分寺 ― 古代の都

史実奈良時代、今の東京都と埼玉県、神奈川県の一部にあたる武蔵国の役所、国府は、今の府中市に置かれていました。「府中」という地名は、この「国府のあるところ」に由来します。府中の大國魂神社は、武蔵国の神々をまとめてまつる総社で、毎年5月の「くらやみ祭」は、夜の闇の中で神輿が渡御する祭りとして知られています。

史実聖武天皇の命で全国に建てられた国分寺のうち、武蔵国の国分寺は今の国分寺市に置かれました。広大な寺の跡が発掘され、国の史跡になっています。東京の歴史の中心は、古代には多摩にあったのです。

多摩は、もともと神奈川県だった

史実明治のはじめ、多摩地域(西多摩・南多摩・北多摩の「三多摩」)は神奈川県に属していました。ところが1893年、三多摩は東京府に移されます。

有力説大きな理由の一つとされるのが、東京の水源を守ることでした。東京の飲み水を運ぶ玉川上水の水源である多摩川の上流が神奈川県にあると、水の管理が難しかったからです。一方、当時の三多摩は自由民権運動がさかんな地域で、その勢力をそぐ政治的なねらいもあったといわれます。

1653玉川上水が完成
1893三多摩が神奈川県から東京府へ
599m高尾山の標高

玉川上水と玉川兄弟

史実1653年、多摩川の羽村から四谷大木戸まで、約43キロにわたって水を引く玉川上水が完成しました。工事を請け負ったのは玉川庄右衛門・清右衛門の兄弟とされ、わずかな高低差を利用して、ポンプを使わずに自然の傾きだけで水を流しました。上水の水は、江戸の人々の暮らしを支えました(江戸の部屋)。

新選組のふるさと

史実幕末の京都で活躍した新選組の中心人物の多くは、多摩の出身です。局長の近藤勇は今の調布市、副長の土方歳三は今の日野市、沖田総司の家族や井上源三郎も日野にゆかりがあります。多摩の農民たちは、剣術の天然理心流を学び、農民でありながら武士として生きる道を選んだのです。日野市には「新選組のふるさと歴史館」があります。

史実八王子には江戸時代、甲州口の守りと治安維持を担った八王子千人同心が置かれていました。半農半士の彼らは、日光東照宮の火の番も務めました。

高尾山と奥多摩

史実八王子市の高尾山(599メートル)は、都心から電車で1時間ほどで行ける山です。2007年、フランスのミシュランの旅行ガイドで最高評価の三つ星に選ばれ、世界中から登山客が訪れるようになりました。年間の登山者数は世界有数だといわれます。

史実奥多摩町の小河内ダム(1957年完成)がつくった奥多摩湖は、東京の水がめの一つです。ダムの建設では、村の多くの家が湖の底に沈みました。

ここを見る:玉川上水の緑道

小平市や三鷹市などでは、玉川上水に沿って緑の遊歩道が続いています。江戸時代の人工の水路が、今は雑木林の中を流れる小川のように見えます。三鷹市の上水沿いには、作家・太宰治ゆかりの場所もあります。

高尾山薬王院の本堂と天狗像
高尾山薬王院八王子市
玉川上水
玉川上水小平市・三鷹市など

主な参考資料:東京都「三多摩の東京府編入」/東京都水道歴史館「玉川上水」/日野市「新選組のふるさと歴史館」/八王子市/府中市郷土の森博物館

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