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24 — FOOD
江戸前の味
寿司、天ぷら、そば、うなぎ。今では高級な和食の代表ですが、江戸時代には、屋台や棒手振りで手軽に食べるファストフードでした。せっかちで新しいもの好きの江戸っ子が育てた、江戸前の味の歴史をたどります。
ラベルの意味:史実記録で裏づけ 有力説多くの研究・資料が支持 伝承言い伝え 都市伝説噂・地元の語りぐさ
「江戸前」とは何か
史実江戸前とは、もともと「江戸の前の海」、つまり江戸城の前に広がる今の東京湾の奥でとれた魚介のことを指しました。江戸時代には、特にこの海でとれたうなぎを江戸前と呼び、よその土地のうなぎ(旅うなぎ)と区別したといわれます。やがて、東京湾の新鮮な魚を使った握り寿司なども「江戸前」と呼ばれるようになりました。
握り寿司は屋台のファストフード
有力説それまでの寿司は、魚をご飯とともに長く漬け込んで発酵させる「なれずし」や、押し寿司が中心でした。19世紀の初め、文政のころ、酢を混ぜたご飯に新鮮な魚をのせて握るだけの握り寿司を広めたのは、両国の華屋与兵衛だといわれます。
史実握り寿司は屋台で売られ、立ったまますぐに食べられる、せっかちな江戸っ子にぴったりの料理でした。当時の握り寿司は、今の2〜3倍ほどの大きさがあったとされます。天ぷらも、火事を防ぐため屋内での揚げ物が嫌われたこともあり、屋台で串に刺して売られていました。
二八そばとうなぎ
有力説江戸の町には数千軒のそば屋があったといわれます。「二八そば」の名は、そば粉8割・小麦粉2割の割合だからという説と、一杯の値段が十六文(2×8)だったからという説があります。
土用の丑の日は、平賀源内のキャッチコピー
夏にうなぎが売れずに困っていたうなぎ屋が、発明家の平賀源内に相談したところ、「本日土用丑の日」と張り紙をするよう勧めた。これが大当たりし、夏の土用の丑の日にうなぎを食べる習慣が広まった――という話が広く知られる。
源内説を裏づける史料はない
「丑の日に『う』のつくものを食べると夏負けしない」という言い伝えは、以前からあったとされる。源内がきっかけだったことを示す確かな記録はなく、後の時代に広まった話と考えられている。
佃煮・もんじゃ・深川めし
史実佃島の漁師たちが、売り物にならない小魚を醤油で煮しめて保存したのが佃煮の始まりとされます。日持ちがするため、参勤交代の武士たちが国元へのおみやげにして、全国に広まりました(下町の部屋)。
有力説もんじゃ焼きは、子どもたちが鉄板に水で溶いた小麦粉で文字を書いて遊んだ「文字焼き」がなまったものだといわれます。月島の西仲通りには、もんじゃの店が数十軒も並ぶ「もんじゃストリート」があります。深川の漁師たちがあさりとねぎを味噌で煮て、ご飯にかけて食べたのが深川めしの始まりとされます。
ここを見る:築地場外市場と豊洲市場
築地の中央卸売市場は2018年に豊洲へ移りましたが、市場の外に広がっていた築地場外市場は今も健在で、食べ歩きの観光客でにぎわいます。豊洲市場では、見学者通路からマグロのせりの様子を見ることができます。


主な参考資料:国立国会図書館「本の万華鏡 江戸の食」/東京都中央卸売市場「豊洲市場」/中央区「月島もんじゃ」/江東区「深川めし」