トップ / 伊豆諸島と小笠原

20 — ISLANDS

伊豆諸島と小笠原

東京の竹芝桟橋から南へ。大島、三宅島、八丈島、青ヶ島と続く伊豆諸島、そして船で約24時間の小笠原諸島。流人の島、火山と暮らす島、欧米系の人々が最初に住んだ島。ここもすべて東京都です。知られざる「島の東京」の歴史をたどります。

ラベルの意味:史実記録で裏づけ 有力説多くの研究・資料が支持 伝承言い伝え 都市伝説噂・地元の語りぐさ

流人の島・八丈島

史実江戸時代、伊豆諸島は罪人を送る流刑の島でした。なかでも八丈島には、明治のはじめまでに多くの流人が送られました。最初の流人とされるのが、関ヶ原の戦いで西軍の主力として戦った大名宇喜多秀家です。1606年に流された秀家は、約50年を島で暮らし、84歳で亡くなりました。

史実流人の中には学問や技術を持つ人も多く、島の文化に影響を与えました。八丈島の特産の絹織物黄八丈は、島に自生する植物で染めた黄色や鳶色の格子柄が特徴で、江戸でも人気を集めました。

火山とともに生きる島

史実伊豆諸島は火山の島々です。1986年には大島の三原山が噴火し、約1万人の島民全員が約1か月間、島の外へ避難しました。2000年には三宅島の雄山が噴火し、火山ガスのため全島民が避難、帰島できたのは約4年半後の2005年でした。

史実八丈島のさらに南にある青ヶ島は、外輪山の中にもう一つの火山がある、世界でも珍しい二重式カルデラの島です。人口は約170人で、日本で一番人口の少ない村として知られています。

約1,000km東京(竹芝)から小笠原・父島まで
約24時間定期船「おがさわら丸」の所要時間
2011小笠原諸島が世界自然遺産に登録

小笠原 ― 最初の住民は欧米の人々

有力説小笠原諸島は、英語で「ボニン・アイランズ」とも呼ばれます。「無人(ぶにん)島」がなまったものだと考えられています。

史実1830年、ハワイから来たアメリカ人やヨーロッパ人、太平洋の島々の人々が父島に住み始めました。これが小笠原の最初の定住者です。1876年、日本は小笠原を日本の領土とすることを各国に通告し、欧米系の住民たちも日本国籍を得て暮らしました。今も島には、欧米系の家族の子孫が暮らしています。

史実太平洋戦争中の1944年、島民の多くが本土へ強制疎開させられました。戦後、小笠原はアメリカ軍の統治下に置かれ、欧米系の島民だけが帰島を許されます。1968年6月26日に日本に返還され、ようやく他の島民も戻ることができました。

史実一度も大陸とつながったことのない小笠原では、独自の進化をとげた動植物が多く、「東洋のガラパゴス」とも呼ばれます。2011年、世界自然遺産に登録されました。

ここを見る:日本の東の端と南の端も東京都

日本の最東端の南鳥島と、最南端の沖ノ鳥島は、どちらも東京都小笠原村に属しています。つまり、日本の東の端と南の端は、住所の上では「東京都」なのです。

小笠原の海
小笠原諸島小笠原村
青ヶ島
青ヶ島青ヶ島村

主な参考資料:小笠原村「小笠原の歴史」/環境省「小笠原諸島世界自然遺産」/八丈町「八丈島の歴史」/気象庁「三宅島・伊豆大島の火山活動」

広告