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17 — SHIBUYA
渋谷 ― 谷の底の街
渋谷駅に向かって歩くと、どの方向から来ても坂を下ることに気づきます。渋谷はその名のとおり、すり鉢状の谷の底にある街です。ハチ公の本当の物語、地下に消えた川、そして世界一有名な交差点。谷の街・渋谷の成り立ちをたどります。
ラベルの意味:史実記録で裏づけ 有力説多くの研究・資料が支持 伝承言い伝え 都市伝説噂・地元の語りぐさ
すべての道は谷底へ
史実渋谷は、渋谷川とその支流が武蔵野台地を削ってできた谷の底にあります。道玄坂、宮益坂、公園通り、金王坂。駅に向かう道はどれも下り坂です。地下鉄銀座線の渋谷駅が、地下鉄なのにビルの3階にあるのも、谷の底に向かって台地の中から出てくるからです。
有力説「渋谷」の名の由来には、この地を治めた渋谷氏の名前からという説や、谷を流れる川の水が鉄分で赤茶けた「しぶ色」をしていたからという説などがあり、はっきりしません(地名の部屋)。
忠犬ハチ公の本当の物語
史実秋田犬のハチは1923年に生まれ、東京帝国大学農学部の教授上野英三郎に飼われました。ハチは毎日、渋谷駅まで上野を迎えに行きましたが、1925年、上野は大学で急死します。その後もハチは、約10年にわたって渋谷駅に通い続けました。
史実この話が新聞で紹介されると、ハチは一躍有名になり、1934年、渋谷駅前に銅像が建てられました。除幕式には、ハチ自身も出席しています。ハチは翌1935年に亡くなりました。最初の像は戦争中の金属供出で失われ、今の像は1948年に再建されたものです。
「ハチは焼き鳥目当てだった」
ハチが駅に通ったのは、主人を待っていたのではなく、駅前の屋台でもらえる焼き鳥が目当てだった――という話がささやかれることがある。
どちらとも言い切れない
ハチが駅の周辺で人々に可愛がられ、食べものをもらっていたことは確かとされる。ただ、それが通い続けた理由だったかどうかは分からない。死後の解剖で胃から焼き鳥の串が見つかったとも伝えられるが、それが通い続けた理由を示すわけではない。
地下に消えた渋谷川
史実渋谷駅のあたりを流れていた渋谷川は、1964年の東京オリンピックのころ、宮益橋から上流がふたをされて暗渠になりました。唱歌「春の小川」のモデルとされる河骨川も、この渋谷川の支流です(川の部屋)。
史実2018年、駅の南側の再開発で、渋谷川の一部が遊歩道つきの水辺として整備されました。
スクランブル交差点
史実渋谷駅前のスクランブル交差点は、すべての方向の車の信号が同時に赤になり、歩行者が縦横斜めに一斉に渡る交差点です。一度の青信号で、多いときには数千人が渡るともいわれます。整然とすれ違う人の波は、映画やミュージックビデオに何度も登場し、今では世界中から人が見に来る「観光地」になりました(世界からの部屋)。
ここを見る:「谷底」を実感する
宮益坂の上から駅の方を見下ろすか、スクランブル交差点に立って周りを見回してみてください。道玄坂も宮益坂も、交差点に向かって下ってきています。渋谷の街の人の流れは、地形がつくり出しているのです。


主な参考資料:渋谷区郷土博物館・文学館/東京大学農学部「ハチ公と上野英三郎博士」/東京都建設局「渋谷川」