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23 — CHERRY BLOSSOMS
桜と花見の東京
春になると「東京で桜が開花しました」というニュースが全国に流れます。日本の桜の代名詞ソメイヨシノは、実は江戸の植木屋の村から広まったとされます。将軍がつくった花見の名所、開花を決める一本の木。東京と桜の深い関係をたどります。
ラベルの意味:史実記録で裏づけ 有力説多くの研究・資料が支持 伝承言い伝え 都市伝説噂・地元の語りぐさ
ソメイヨシノは東京生まれ
有力説日本の桜の8割ほどを占めるともいわれるソメイヨシノは、江戸時代の末ごろ、江戸の染井村(今の豊島区駒込のあたり)の植木屋たちによって広められたと考えられています。はじめは、桜の名所・奈良の吉野にちなんで「吉野桜」と呼ばれていましたが、明治になって吉野の山桜と区別するため、「染井吉野」と名づけられました。
史実遺伝子の研究から、ソメイヨシノはエドヒガンとオオシマザクラなどの交雑によって生まれたことが分かっています。種では同じ性質の木が育たないため、全国のソメイヨシノは、接ぎ木で増やされたクローンです。同じ地域の木がいっせいに咲き、いっせいに散るのはそのためです。
ここを見る:染井霊園と「染井吉野桜発祥の里」
豊島区駒込の染井霊園のまわりや駒込駅の周辺には、「染井吉野桜発祥の里」の碑が立っています。JR駒込駅のホームの土手にも桜が植えられ、春には電車の窓から花が見えます。
吉宗がつくった花見の名所
史実江戸の庶民が気軽に花見を楽しめるようになったのは、8代将軍徳川吉宗の時代からです。享保の改革で倹約を進めた吉宗は、一方で庶民の楽しみの場として、飛鳥山(北区)や隅田川の堤、品川の御殿山などに桜を植えさせました。
史実飛鳥山では、花見の席で酒を飲み、歌い騒ぐことが許されていました。江戸の人々は弁当や酒を持って花見に出かけ、仮装をして踊る人もいたといいます。今も続く「花見の宴会」の文化は、このころに広まったのです。
開花を決める一本の木
史実東京の桜の開花は、気象庁の職員が靖国神社の境内にある1本のソメイヨシノ、標本木を観察して判断しています。この標本木で5〜6輪以上の花が咲いていると「開花」、つぼみの8割以上が開くと「満開」と発表されます。毎年春、標本木のまわりには報道陣が集まり、職員が花の数を数える様子が中継されます。
ワシントンに渡った東京の桜
史実1912年、東京市長の尾崎行雄は、日米友好の証として、約3,000本の桜の苗木をアメリカのワシントンD.C.に贈りました。ポトマック河畔に植えられた桜は、今もワシントンの春の名物で、毎年「全米桜祭り」が開かれています。実は1909年に贈った最初の苗木は、害虫が見つかったため焼却処分されてしまい、2度目の挑戦で実現したものでした。


主な参考資料:豊島区「染井吉野発祥の地」/北区「飛鳥山公園の歴史」/気象庁「さくらの開花・満開の観測」/国立国会図書館「ワシントンへの桜の寄贈」