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04 — RECLAIMED LAND

埋め立てと東京湾

丸の内のオフィス街も、銀座の繁華街も、お台場の観光地も、かつては海でした。東京は400年以上にわたって、山を崩し、ごみを積み、海を陸に変えながら広がってきました。地図の上の「海岸線の歴史」をたどります。

ラベルの意味:史実記録で裏づけ 有力説多くの研究・資料が支持 伝承言い伝え 都市伝説噂・地元の語りぐさ

日比谷入江が消えた日

史実家康が江戸に来たころ、江戸城のすぐ前には日比谷入江が広がっていました。江戸幕府が開かれると、神田山(今の駿河台)を崩した土で入江は埋め立てられ、大名屋敷や町人地が生まれます(起源の部屋)。

史実明暦の大火のあとには、がれきなどで隅田川の河口付近も埋め立てられ、築地が生まれました。築地とは「築いた土地」、つまり埋め立て地のことです。大火で焼けた本願寺の御堂はここに移され、今の築地本願寺になりました。

お台場 ― 黒船に備えた砲台

史実1853年、ペリーの黒船が浦賀に現れると、幕府は江戸湾の防備のため、品川の沖に砲台を築く島を急いで造りました。これが品川台場です。11基が計画されましたが、完成したのは一部だけでした。幕府の砲台を敬って「御台場」と呼んだことから、お台場という地名が生まれました。

ここを見る:レインボーブリッジの下の島

品川台場のうち、第三台場と第六台場が今も残り、国の史跡になっています。第三台場は陸続きの台場公園として歩くことができ、砲台の跡や火薬庫の跡が見られます。レインボーブリッジから見下ろすと、四角い島の形がよく分かります。

ごみでできた「夢の島」

史実江東区の夢の島は、もともと戦前に飛行場を造るため埋め立てが始まった土地でした。戦後、ここは東京のごみの埋め立て地になり、1957年から約10年にわたって大量のごみが運び込まれました。ハエの大発生や火災にも悩まされたこの場所は、のちに公園として整備されます。

史実夢の島公園には、1954年にアメリカの水爆実験で被ばくしたマグロ漁船「第五福竜丸」の船体を展示する都立の展示館があります。

400年以上東京湾の埋め立ての歴史
1853品川台場の築造が始まる
2018築地市場が豊洲へ移転

海の上に広がる街

史実明治以降も埋め立ては続き、月島、晴海、豊洲、有明など、東京湾の奥には人工の土地が次々に生まれました。2018年には、築地にあった中央卸売市場が埋め立て地の豊洲へ移転しています。

史実一方、東京の東部には、地下水のくみ上げなどによって地盤が沈み、地面の高さが満潮時の海面より低くなった「海抜ゼロメートル地帯」が広がっています。江東区や墨田区、江戸川区などでは、堤防や水門が街を水から守っています。

第三台場とレインボーブリッジ
台場(第三台場)港区台場
築地本願寺
築地本願寺中央区築地

インド風のお寺

築地本願寺の本堂は、1934年に建てられた古代インド様式の建物です。設計したのは、アジア各地の仏教遺跡を調査した建築家の伊東忠太。関東大震災で木造の本堂が焼けたあと、燃えない石造りの寺として建てられました。海を埋め立てた土地に、インドの寺院が建っているのです。

主な参考資料:港区「台場」/東京都港湾局「東京港の歴史」/都立第五福竜丸展示館/築地本願寺

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