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新宿 ― 宿場町から副都心へ

1日に数百万人が行き交う新宿。その始まりは、江戸時代に甲州街道につくられた小さな「新しい宿場」でした。巨大な浄水場の跡地に超高層ビルが立ち並び、闇市の跡に飲み屋の横丁が残る。いくつもの顔をもつ新宿の歩みをたどります。

ラベルの意味:史実記録で裏づけ 有力説多くの研究・資料が支持 伝承言い伝え 都市伝説噂・地元の語りぐさ

内藤家の屋敷と「新しい宿」

史実甲州街道の最初の宿場は、日本橋から4里(約16キロ)も離れた高井戸でした。旅人の負担を減らすため、浅草の商人たちが願い出て、1698年、その中間に新しい宿場がつくられます。土地は信濃高遠藩内藤家の屋敷の一部でした。そこで「内藤新宿」と名づけられ、これが「新宿」という地名の始まりです。

史実内藤家の屋敷の残りの部分は、のちに新宿御苑になりました(山の手の部屋)。新宿駅の南東に今も「内藤町」という地名が残っています。

浄水場の跡の超高層ビル街

史実1898年、今の西新宿に、東京で初めての近代的な浄水場淀橋浄水場がつくられました。玉川上水の水をきれいにして、東京の街へ送るための施設です(多摩の部屋)。

史実1965年に浄水場の機能が東村山へ移ると、広大な跡地は新宿副都心として開発されました。1971年の京王プラザホテルを皮切りに超高層ビルが次々に建ち、1991年には東京都庁が有楽町から移ってきます。丹下健三が設計した都庁第一本庁舎は高さ243メートル。45階の展望室には無料で上ることができます。

1698内藤新宿がつくられる
1965淀橋浄水場が廃止される
243m東京都庁第一本庁舎の高さ

闇市の記憶 ― 思い出横丁とゴールデン街

史実新宿駅西口の線路沿いにある思い出横丁は、戦後の闇市から生まれた飲み屋街です。狭い路地に焼き鳥やもつ焼きの店がひしめき、煙が立ちこめる光景が、今では外国人観光客にも大人気です(世界からの部屋)。

史実東口の花園神社の近くにある新宿ゴールデン街には、数坪ほどの小さなバーや飲み屋が200軒以上、木造の長屋の中にぎっしりと並んでいます。戦後の闇市の店が移ってきた場所で、作家や映画監督、演劇人が集まる文化人の酒場街として知られてきました。

ここを見る:都庁の展望室から見る「浄水場の形」

都庁の展望室から西新宿の街を見下ろすと、超高層ビルが碁盤の目のような区画に整然と並んでいるのが分かります。この区画は、浄水場のろ過池や沈殿池があった場所を整理して造られたものです。すぐ西の新宿中央公園も、浄水場の跡地の一部です。

東京都庁
東京都庁新宿区西新宿
思い出横丁
思い出横丁新宿区西新宿

主な参考資料:新宿区「新宿の歴史」/東京都水道局「淀橋浄水場」/東京都「都庁舎の概要」/新宿歴史博物館

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