トップ / 秋葉原 ― 電気街からオタクの聖地へ

18 — AKIHABARA

秋葉原 ― 電気街からオタクの聖地へ

秋葉原は、時代ごとにまったく違う顔を見せてきた街です。火事よけの原っぱ、青果市場、ラジオ部品の露店、家電の安売り、パソコン、そしてアニメとゲームとメイドカフェ。世界の「AKIBA」になるまでの変身の歴史をたどります。

ラベルの意味:史実記録で裏づけ 有力説多くの研究・資料が支持 伝承言い伝え 都市伝説噂・地元の語りぐさ

火除けの原っぱ

史実1869年、神田で大火が起きると、明治政府は焼け跡を火除け地とし、そこに火の神をまつる神社を建てました。人々はこれを火防の神「秋葉さま」と呼び、空き地は「秋葉の原(あきばっぱら)」と呼ばれるようになります。1890年、ここに貨物の駅がつくられ、「秋葉原」と書いて「あきはばら」と読まれるようになりました(地名の部屋)。

史実神社はのちに台東区松が谷に移り、今は「秋葉神社」としてまつられています。地元の人が今も秋葉原を「アキバ」と呼ぶのは、この「あきば」の読みの名残です。

ラジオの露店から電気街へ

史実戦前の秋葉原には、神田の青果市場(やっちゃ場)が置かれていました。電気の街になったのは戦後のことです。焼け跡の闇市で、ラジオの部品を売る露店が集まり、自分でラジオを組み立てる人々でにぎわいました。1950年前後、GHQの露店整理令で道路の露店が禁止されると、店は高架下などに移り、小さな部品店がぎっしり並ぶラジオセンターなどが生まれました。

史実高度経済成長期には、テレビ・洗濯機・冷蔵庫の「三種の神器」を求める人々で、秋葉原は日本一の家電の街になります。1980年代からはパソコン、1990年代後半からはアニメやゲーム、フィギュアの店が増え、2000年代にはメイドカフェが話題になりました。

1869大火のあと火除け地になる
1890秋葉原駅(貨物駅)が開業
1943万世橋駅が営業を休止

幻の万世橋駅

史実秋葉原駅の南、神田川のほとりには、かつて万世橋駅という大きなターミナル駅がありました。1912年に開業した駅舎は、東京駅と同じ辰野金吾の設計による赤れんがの建物で、駅前には日露戦争の英雄・広瀬武夫中佐の銅像が立ち、たいへんなにぎわいでした。

史実しかし関東大震災で駅舎が焼け、近くに秋葉原駅や神田駅ができると利用者は減り、1943年に営業を休止しました。その後、交通博物館として使われた時代を経て、2013年、赤れんがの高架橋を生かした商業施設「マーチエキュート神田万世橋」に生まれ変わりました。旧ホームの跡は展望デッキになっていて、すぐ横を中央線の電車が走り抜けます。

ここを見る:高架下の小さな部品店

秋葉原駅の総武線の高架下には、今も秋葉原ラジオセンターなどに小さな部品店が並んでいます。1坪ほどの店の棚に、スイッチや抵抗、ケーブルがぎっしり。アニメの看板が並ぶ大通りから一歩入ると、戦後の「電気街」の原点に出会えます。

秋葉原の電気街
秋葉原電気街千代田区外神田
マーチエキュート神田万世橋
旧万世橋駅千代田区神田須田町

主な参考資料:千代田区「秋葉原の歴史」/JR東日本「マーチエキュート神田万世橋」/秋葉原ラジオセンター

広告