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上野 ― 寛永寺と西郷さん
美術館や博物館、動物園が集まる上野公園。ここはかつて、江戸城の鬼門を守る巨大なお寺の境内でした。戊辰戦争の戦場となり、日本初の公園となり、犬を連れた西郷さんの像が立つまで。上野の山の変遷をたどります。
ラベルの意味:史実記録で裏づけ 有力説多くの研究・資料が支持 伝承言い伝え 都市伝説噂・地元の語りぐさ
東の比叡山・寛永寺
史実1625年、徳川家康・秀忠・家光の三代に仕えた僧天海は、上野の台地に寛永寺を開きました。上野は江戸城から見て北東、つまり鬼が出入りするとされた鬼門の方角にあたります。京都の御所の鬼門を比叡山延暦寺が守っているのにならい、寛永寺の山号は「東の比叡山」を意味する東叡山とされました。
史実天海は上野を京都に見立てて、不忍池を琵琶湖に、池に浮かぶ弁天島を琵琶湖の竹生島になぞらえて、弁天堂を建てました。寛永寺は徳川将軍家の菩提寺となり、6人の将軍が眠っています。
彰義隊と焼けた伽藍
史実最盛期の寛永寺は、今の上野公園のほぼ全体を境内とする巨大な寺でした。しかし1868年、新政府に抵抗する彰義隊がたてこもり、上野戦争が起こります。わずか1日の戦いで彰義隊は敗れ、寛永寺の多くの建物が焼失しました(幕末の部屋)。
日本初の公園と動物園
史実焼け跡には当初、病院を建てる計画がありました。しかし視察に来たオランダ人医師ボードウィンが、この美しい森を公園として残すよう政府に勧めたといわれます。1873年、上野は芝・浅草などとともに日本で最初の公園に指定されました。
史実1877年には第1回内国勧業博覧会が開かれ、1882年には博物館の付属施設として日本初の動物園、上野動物園が開園しました。1972年に日中国交正常化を記念してジャイアントパンダのカンカンとランランがやって来ると、上野は大変なパンダブームにわきました。
浴衣姿の西郷さん
史実上野公園の入口に立つ西郷隆盛の銅像は、1898年に除幕されました。軍服ではなく、浴衣姿で犬を連れた姿です。西郷は西南戦争で政府に反旗を翻した人物だったため、軍服姿の像はふさわしくないとされ、ふだん着の姿になったといわれます。連れている犬の名前は「ツン」です。
「うちの人はこんな人ではない」
除幕式に招かれた西郷の妻・糸子が、銅像を見て「宿んしはこげなお人じゃなかったこてえ(うちの主人はこんな人ではなかった)」と言った――という話が広く知られる。
似ていないのではなく……
顔が似ていないと言ったのか、浴衣姿で人前に出るような人ではなかったという意味なのか、解釈は分かれる。西郷は写真を残さなかったため、像は親族の顔などを参考に作られたといわれる。
ここを見る:国立西洋美術館と彰義隊の墓
上野公園の国立西洋美術館の本館は、フランスの建築家ル・コルビュジエの設計で、2016年に世界文化遺産に登録されました。一方、西郷像のすぐ裏手には、上野戦争で戦死した彰義隊士の墓がひっそりと立っています。敵味方だった二人の記憶が、同じ山の上に並んでいるのです。


主な参考資料:寛永寺/台東区「上野公園の歴史」/東京都恩賜上野動物園/国立西洋美術館