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焼け跡からオリンピックへ

1945年、焼け野原になった東京。それからわずか19年後の1964年、この街はオリンピックを開き、世界の舞台に立ちました。闇市からタワー、新幹線、超高層ビルへ。戦後の東京が、どのように世界有数の大都市へと駆け上がったのかをたどります。

ラベルの意味:史実記録で裏づけ 有力説多くの研究・資料が支持 伝承言い伝え 都市伝説噂・地元の語りぐさ

闇市とアメ横

史実戦後の東京では食べものが足りず、配給だけでは暮らしていけませんでした。新宿、渋谷、池袋、上野、新橋など、駅前の焼け跡にはたちまち闇市が立ち並び、あらゆるものが売り買いされました。

有力説上野と御徒町のあいだのアメ横(アメヤ横丁)もその一つです。名前の由来には、芋あめなどの飴を売る店が多かったからという説と、アメリカ軍の放出品を扱う店が多かったから「アメリカ横丁」という説の二つがあります。

1958年、東京タワー

史実テレビ放送が始まると、各局がばらばらに電波塔を建てる代わりに、一本の大きな塔で電波を送ろうという計画が生まれます。1958年12月、高さ333メートルの東京タワーが完成しました。当時、自立式の鉄塔としては世界一の高さで、パリのエッフェル塔を上回りました。

333m東京タワーの高さ(1958年)
1964.10.10東京オリンピック開会式
634m東京スカイツリーの高さ(2012年)

1964年、東京オリンピック

史実1964年10月10日、アジアで初めてのオリンピックが東京で開幕しました。大会に合わせて、東京の街は大きく姿を変えます。首都高速道路、東海道新幹線(10月1日開業)、東京モノレール、環状七号線などが次々に完成しました。

史実開会式が行われた10月10日は、のちに「体育の日」(今の「スポーツの日」)として祝日になりました。代々木の選手村の跡地は代々木公園に、丹下健三が設計した国立代々木競技場は、今も使われています。

ここを見る:国立代々木競技場の吊り屋根

1964年の大会のために建てられた国立代々木競技場の第一体育館は、ケーブルで屋根を吊り下げた独特の形で、世界の建築家を驚かせました。2021年には国の重要文化財に指定されています。

空へ伸びる街

史実地震の多い日本では長く、建物の高さが31メートルまでに制限されていました。1968年、この制限がなくなったあとに完成した霞が関ビル(高さ147メートル、36階建て)が、日本初の超高層ビルとなります。やがて新宿の淀橋浄水場の跡地にも超高層ビルが立ち並び、1991年には東京都庁が有楽町から新宿へ移りました(新宿の部屋)。

史実2012年には、高さ634メートルの東京スカイツリーが開業しました。634は、東京の旧国名「武蔵(むさし)」にかけた数字です。2021年には、新型コロナウイルスの影響で1年延期された2度目の東京オリンピック・パラリンピックが、ほとんど無観客で開かれました。

東京タワー
東京タワー港区芝公園
東京スカイツリー
東京スカイツリー墨田区押上

主な参考資料:東京都公文書館「東京オリンピック」/日本電波塔(東京タワー)/東武タワースカイツリー/三井不動産「霞が関ビル」/文化庁「国立代々木競技場」

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