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13 — SHITAMACHI
浅草・下町と隅田川
隅田川のほとり、網にかかった一体の観音像から始まった浅草。江戸の人々は川で花火を上げ、相撲に熱狂し、祭りに命をかけました。大火や震災、空襲に何度焼かれても、人情と祭りの町として生き続けてきた「下町」の物語です。
ラベルの意味:史実記録で裏づけ 有力説多くの研究・資料が支持 伝承言い伝え 都市伝説噂・地元の語りぐさ
網にかかった観音さま
伝承628年、隅田川で漁をしていた檜前浜成・竹成という兄弟の網に、一体の小さな観音像がかかりました。土地の長だった土師中知がこれをまつったのが、浅草寺の始まりだと伝えられています。この三人をまつるのが、浅草寺の隣の浅草神社で、その祭りが三社祭です(祭りの部屋)。
史実浅草寺の本尊の観音像は、今も絶対の秘仏として、誰も見ることができません。
雷門の大提灯
史実浅草寺の総門である雷門は、正式には「風雷神門」といい、左右に風神と雷神の像が立っています。江戸時代に何度も焼け、1865年の火事のあとは長いあいだ再建されませんでした。今の門は1960年、松下電器(今のパナソニック)の創業者・松下幸之助の寄進によって再建されたものです。
ここを見る:大提灯の底の龍
雷門の大提灯の真下に立って、上を見上げてみてください。提灯の底に、木彫りの龍が彫られています。ほとんどの人は提灯の正面だけを見て通り過ぎますが、ここを見上げるのが浅草通の楽しみです。
両国 ― 花火と相撲の町
有力説隅田川の花火の始まりは、1733年、前の年の大飢饉や疫病で亡くなった人々を慰め、悪い病を払うために行われた水神祭で、花火が打ち上げられたことだといわれます。花火師の「玉屋」「鍵屋」を呼ぶ掛け声は、このころに生まれました。今の隅田川花火大会は、その伝統を受け継いでいます。
史実両国は、回向院の境内で開かれた勧進相撲から相撲の町になりました。1909年には最初の国技館が建てられ、今の国技館は1985年に完成しました。両国の街には、今も相撲部屋が点在しています(文化の部屋)。
佃島の漁師たち
史実隅田川の河口に浮かぶ佃島は、家康が摂津国(大阪)の佃村から呼び寄せた漁師たちが、1644年ごろ干潟を埋め立ててつくった島です。漁師たちは白魚などをとって将軍に献上しました。小魚を醤油で甘辛く煮た保存食佃煮は、この島の名前から生まれました(食の部屋)。
谷中・根津・千駄木
史実上野の北に広がる谷中・根津・千駄木(谷根千)は、関東大震災や戦災の被害が比較的少なく、古い寺や木造の家、細い路地が残る地域です。谷中は、明暦の大火のあとに多くの寺が移ってきた「寺町」で、今も70ほどの寺が集まっています。


主な参考資料:浅草寺「浅草寺縁起」/墨田区「隅田川花火大会の歴史」/中央区「佃島」/台東区「谷中」