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25 — CULTURE

江戸の粋と芸能

江戸の文化の主役は、武士ではなく町人でした。浮世絵を買い、芝居小屋に通い、寄席で笑い、相撲に熱狂する。そんな庶民の楽しみの中から、北斎の「波」や歌舞伎の見得、落語の笑いが生まれ、世界へ広がっていきました。

ラベルの意味:史実記録で裏づけ 有力説多くの研究・資料が支持 伝承言い伝え 都市伝説噂・地元の語りぐさ

浮世絵 ― 江戸のポスターとブロマイド

史実浮世絵は、木版画で大量に刷られた、庶民のための絵でした。人気役者の似顔絵、美人画、名所の風景。値段はそば一杯ほどともいわれ、今でいえばポスターやブロマイドのような存在でした。

史実江戸の本所に生まれた葛飾北斎は、生涯に90回以上引っ越し、30回以上も画号を変えたといわれる奇人でした。70代で描いた『富嶽三十六景』の「神奈川沖浪裏」は、今では世界で最も有名な日本の絵の一つです。浮世絵は19世紀後半にヨーロッパに渡り、モネやゴッホなど印象派の画家たちに大きな影響を与えました(ジャポニスム)。

ここを見る:すみだ北斎美術館

北斎が生まれ育った墨田区亀沢には、2016年にすみだ北斎美術館が開館しました。館内には、晩年の北斎が娘の応為とともに絵を描く姿を再現した模型があり、散らかった部屋の様子まで再現されています。

歌舞伎と江戸三座

史実江戸時代、幕府の許しを得た芝居小屋は中村座・市村座・森田座の3つで、「江戸三座」と呼ばれました。芝居は朝から晩まで一日がかりの娯楽で、人々は弁当を持って出かけました。「幕の内弁当」は、芝居の幕間に食べる弁当が名前の由来だといわれます。

史実江戸の歌舞伎の特徴は、豪快で力強い「荒事」の演技です。初代市川團十郎が始めたとされ、隈取の化粧や、大きく目を見開いて動きを止める「見得」は、江戸の観客を熱狂させました。1842年、天保の改革で三座は浅草の猿若町に移されます。今の歌舞伎座(銀座)は2013年に建て替えられた5代目の建物です。

90回以上北斎が引っ越したといわれる回数
三座江戸で公認された芝居小屋
1833回向院で定場所の相撲が始まる

寄席と落語

史実一人の話し手が扇子と手ぬぐいだけで何役も演じる落語は、江戸では寄席で楽しまれました。江戸時代の後期には、江戸の町に数百軒の寄席があったといわれます。今も上野の鈴本演芸場、浅草演芸ホール、新宿末廣亭などの寄席で、毎日落語を聴くことができます。

「粋」と「宵越しの銭」

史実江戸っ子が何より大切にしたのが「粋(いき)」です。派手すぎず、野暮ったくもなく、さりげなく洗練されていること。表地は地味な着物の裏地に凝った柄を使う「裏勝り」は、贅沢を禁じられた町人たちの粋な工夫だったといわれます。反対に、気がきかないことは「野暮」とされました。

「宵越しの銭は持たない」「江戸っ子は五月の鯉の吹き流し(口は悪いが腹の中はさっぱりしている)」といった言葉も、江戸っ子の気質を表しています(江戸の部屋)。

歌舞伎座
歌舞伎座中央区銀座
すみだ北斎美術館
すみだ北斎美術館墨田区亀沢

主な参考資料:すみだ北斎美術館/松竹「歌舞伎座の歴史」/日本相撲協会/落語協会

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