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當麻寺と二上山

奈良盆地の西、二つのこぶを持つ二上山(にじょうざん)のふもとに當麻寺(たいまでら)はあります。この寺には、継母にいじめられた姫が、蓮の糸で一夜にして極楽の姿を織り上げたという伝説が伝わっています。西に沈む夕日の向こうに極楽がある――古代の人々は二上山にそう祈りました。

ラベルの意味:史実記録で裏づけ 有力説多くの研究・資料が支持 伝承言い伝え 都市伝説噂・地元の語りぐさ

東西の塔がそろう、ただ一つの寺

史実當麻寺は7世紀に創建されたと伝わる古寺です。境内には東塔と西塔の二つの三重塔(ともに国宝)が建っています。奈良時代から平安時代初期に建てられた塔で、古代の東西両塔がそろって残っているのは、全国でここだけです。

2基古代から残る東塔・西塔(ともに国宝)
約4m四方當麻曼荼羅の大きさ
4月14日練供養会式(現在の日程)

中将姫と蓮糸の曼荼羅

伝承奈良時代、藤原豊成の娘・中将姫は、美しく聡明でしたが、継母に命を狙われ、山に捨てられるなどの苦難にあいました。のちに出家して當麻寺に入った姫は、仏の姿を見たいと願い、蓮の茎から取った糸を五色に染め、一夜のうちに極楽浄土の姿を織り上げた――と伝えられます。これが本堂に掛けられる「當麻曼荼羅」です。

史実実際の當麻曼荼羅(綴織當麻曼荼羅図、国宝)は約4m四方の大きな綴織で、8世紀に作られたものと考えられています。調査では、絹糸で織られていることがわかっていて、中国・唐で作られた可能性も指摘されています。今は傷みが激しく、本堂には室町時代に写された「文亀本」などが掛けられています。

伝承中将姫は、29歳のとき、阿弥陀仏と菩薩たちに迎えられて生きたまま極楽へ旅立ったとされます。この場面を再現するのが、毎年4月14日(かつては5月14日)の「練供養会式(ねりくようえしき)」です。金色の面をつけた二十五菩薩が、本堂から娑婆堂まで渡された長い橋の上を練り歩き、姫を極楽へ迎えます。

當麻寺の三重塔
當麻寺の三重塔葛城市當麻
二上山
二上山葛城市・大阪府太子町

二上山――悲劇の皇子が眠る山

史実二上山は、雄岳(517m)と雌岳(474m)の二つの峰を持つ山です。686年、天武天皇の死の直後、天武の皇子・大津皇子は謀反の罪で捕らえられ、翌日処刑されました。皇子は文武に優れ、人望があったとされ、皇后(のちの持統天皇)が自分の子・草壁皇子の地位を守るために仕組んだ事件だという見方もあります。

史実皇子の遺体は二上山に移して葬られ、その姉・大伯皇女は「うつそみの人にあるわれや明日よりは二上山を弟世(いろせ)とわが見む」(生きているこの身は、明日から二上山を弟と思って眺めよう)と詠みました。宮内庁は雄岳の山頂近くの墓を大津皇子の墓としています。

ここを見る:二上山に沈む夕日

春分・秋分のころ、奈良盆地からは二上山の二つの峰のあいだに夕日が沈みます。西方に極楽浄土があると考えた人々にとって、二上山は極楽の入口のような山でした。折口信夫は、中将姫の伝説と大津皇子をもとに小説『死者の書』を書いています。奈良盆地の東側、山の辺の道などから眺めると、二上山のシルエットがよくわかります。

主な参考資料:當麻寺公式サイト(中之坊ほか)/葛城市観光協会/文化庁 国指定文化財等データベース/『日本書紀』朱鳥元年条/『万葉集』巻2

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