トップ / 奈良が発祥のもの
奈良が発祥のもの
茶道の茶筅、書道の墨、透き通った日本酒、あんこの入った饅頭。日本の暮らしに欠かせないこれらのものには、奈良で生まれた、あるいは奈良から広まったとされるものが少なくありません。1300年前に都が置かれ、寺社が学問と技術の中心だった土地ならではの「はじまり」の話です。
ラベルの意味:史実記録で裏づけ 有力説多くの研究・資料が支持 伝承言い伝え 都市伝説噂・地元の語りぐさ
清酒――菩提山の僧たちの酒造り
史実奈良市の山あいにある正暦寺(しょうりゃくじ)は、992年創建の寺です。室町時代、この寺の僧たちは、仏に供える酒や寺の財源として、高度な酒造りを行っていました。生米と蒸した米を水に浸して乳酸菌を育てる「菩提酛(ぼだいもと)」という酒母の造り方や、麹米と掛米の両方に白米を使う「諸白(もろはく)造り」など、現代の日本酒造りの基礎になる技術がここで確立したとされます。
有力説こうして奈良の寺で造られた澄んだ酒は「南都諸白」と呼ばれ、天下一の銘酒としてもてはやされました。正暦寺の境内には「日本清酒発祥之地」の石碑が建っています。毎年1月には、県内の酒蔵が集まって正暦寺で菩提酛の仕込みを行い、それぞれの蔵で酒を仕上げています。
茶筅――生駒市高山の竹の技
伝承抹茶を点てる道具・茶筅は、室町時代、高山(今の生駒市高山町)の領主の一族・高山宗砌(そうせつ)が、侘び茶の祖とされる村田珠光に頼まれて作ったのが始まりと伝えられます。
史実高山では、その技が一子相伝の秘伝として受け継がれ、今も全国の茶筅のほとんどがここで作られています。一本の竹を細かく割いて、80本、100本、120本と穂を作り、内側に曲げていく作業は、熟練の職人による手仕事です。「高山茶筌」は国の伝統的工芸品に指定されています。
墨――寺で生まれた油煙墨
有力説室町時代、興福寺の二諦坊(にたいぼう)で、灯明の煙のすすを集めて作る「油煙墨」が作られるようになったのが、奈良墨の始まりとされます。写経などで大量の墨を使う寺院が、墨作りの技術を育てました。
史実江戸時代には奈良の墨屋が全国に墨を送り出し、今も固形墨の国内生産の大部分を奈良が占めています。墨作りは、湿度と温度の管理が大切なため、10月から4月の寒い時期に行われます。菜種油や松を燃やしたすすを膠で練り、木型に入れて形を整え、灰の中で時間をかけて乾かしていきます。


饅頭――中国から来た林浄因
伝承南北朝時代の1349年ごろ、中国・元から来日した林浄因(りんじょういん)が奈良に住み、あんこを包んだ饅頭を作り始めたと伝えられます。肉を食べない僧侶のために、肉の代わりに小豆のあんを入れたのが工夫だったと言われます。
史実奈良市の漢國(かんごう)神社の境内には、林浄因を祀る「林神社(りんじんじゃ)」があり、全国でただ一つの饅頭の神社とされます。毎年4月19日には「饅頭祭」が行われ、全国の菓子業者が饅頭を供えます。林浄因の子孫は、のちに「塩瀬」の名で饅頭屋を営み、その店は今も東京で続いています。
大和郡山の金魚
有力説大和郡山市は、愛知県弥富市と並ぶ金魚の一大産地です。1724年、甲斐国(山梨県)から郡山藩に移ってきた藩主・柳沢吉里の家臣が、金魚を持ち込んだのが始まりとされます。幕末には、収入の少ない藩士たちの副業として金魚の養殖が広まりました。今も市内には金魚池が点在し、毎年8月には「全国金魚すくい選手権大会」が開かれています。
ここを見る:杉玉と三輪そうめん
酒蔵の軒先の「杉玉」は大神神社の習わしから、手延べのそうめんは三輪から広まったとされます(三輪山の部屋)。奈良は「はじまり」をたどると、どこかで寺や神社に行き着く土地なのです。
主な参考資料:正暦寺公式サイト/奈良県「奈良の地場産品・伝統工芸品」/生駒市「高山茶筌」/奈良製墨組合/漢國神社(林神社)/大和郡山市「金魚」