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若草山

奈良公園の東に、木のない、なだらかな芝の山がそびえています。若草山です。毎年1月、この山は全体に火が放たれ、夜空を焦がしながら燃え上がります。古都の真ん中で山を丸ごと焼く――その始まりは、実ははっきりわかっていません。

ラベルの意味:史実記録で裏づけ 有力説多くの研究・資料が支持 伝承言い伝え 都市伝説噂・地元の語りぐさ

三つの笠を重ねた山

史実若草山は標高342m。ふもとから見ると、なだらかな笠を三つ重ねたような形で、下から一重目・二重目・三重目と呼ばれます。このため「三笠山」とも呼ばれてきました(ただし、春日大社の背後にある御蓋山〈みかさやま〉とは別の山です)。

史実山の斜面は芝に覆われ、鹿が草を食べています。春から秋の開山期間は入山料を払って登ることができ、山頂からは奈良の街、東大寺大仏殿の大屋根、晴れた日には生駒山や大阪のビル群まで見渡せます。

342m若草山の標高
約103m山頂の鶯塚古墳の全長
1月山焼き(例年、第4土曜日)

なぜ山を焼くのか――三つの説

有力説山焼きの起源には、いくつかの説があります。一つは、山の領有をめぐって東大寺と興福寺が争い、奈良奉行所の仲裁で両者立ち会いのもと山を焼いた、という境界争い説。江戸時代の宝暦10年(1760年)ごろの奉行所の記録に、山焼きにかかわる記述があるとされます。

伝承もう一つは、山頂の鶯塚古墳に「牛鬼(うしおに)」という妖怪が出るので、それを鎮めるために枯れ草ごと焼いた、という説です。江戸時代には、山を焼かないと牛鬼が出て災いが起こると信じられ、誰かが勝手に火を放つこともあったと言われます。

有力説このほか、山の芝を保つための野焼き、害虫駆除のための火入れだったという見方もあります。いずれにせよ、明治時代以降は奈良の冬の行事として定着しました。今は春日大社・興福寺・東大寺の三社寺が神事・法要を行い、花火の打ち上げのあと、山全体に一斉に火がつけられます。

若草山の山焼き
若草山の山焼き奈良市雑司町
若草山からの眺め
若草山からの眺め奈良市雑司町

山頂の鶯塚古墳

史実若草山の山頂には、全長約103mの前方後円墳「鶯塚古墳」があります。古墳時代前期の後半(4世紀後半ごろ)の築造とされ、奈良盆地を見下ろす山の上に造られた、この地域の有力者の墓と考えられています。1936年に国の史跡に指定されました。

史実清少納言は『枕草子』の「陵(みささぎ)は」の段で、「うぐひすの陵」を挙げています。江戸時代には、この古墳がそれだとする石碑が建てられ、「鶯塚」の名が定着しました(鶯の陵が本当にこの古墳を指すかは、はっきりしません)。

ここを見る:奈良奥山ドライブウェイからの夜景

若草山の山頂近くまでは、有料の奈良奥山ドライブウェイで車で上ることもできます。夜、山頂の駐車場から見る奈良市街の夜景は、「新日本三大夜景」の一つに選ばれています。鹿が夜の芝で休んでいることもあるので、運転には注意を。

主な参考資料:奈良県 奈良公園室「若草山」/若草山焼き行事実行委員会/『枕草子』/文化庁 国指定文化財等データベース(鶯塚古墳)

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