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奈良の伝説と都市伝説

1300年分の歴史が積み重なった奈良には、語り継がれてきた不思議な話がたくさんあります。どこまでが本当で、どこからが言い伝えなのか。ラベルで区別しながら、奈良の「ちょっと怖い話」「ちょっと不思議な話」を集めました。

ラベルの意味:史実記録で裏づけ 有力説多くの研究・資料が支持 伝承言い伝え 都市伝説噂・地元の語りぐさ

大仏の鼻の穴と同じ大きさの柱の穴

史実東大寺大仏殿の柱の一本には、根元に縦約37cm、横約30cmの四角い穴が開いていて、くぐり抜けると無病息災のご利益があると言われています(東大寺の部屋)。

都市伝説「この穴は大仏の鼻の穴と同じ大きさ」という話は、修学旅行の定番の豆知識です。けれども、大仏の鼻の穴を測って比べた記録は公表されておらず、本当に同じなのかはわかりません。柱の穴そのものは、建物の方角や鬼門の厄よけにかかわるものだとする説もあります。

猿沢池の七不思議

伝承興福寺の南にある猿沢池には、「澄まず、濁らず、出ず、入らず、蛙はわかず、藻は生えず、魚が七分に水三分」という七不思議が伝わります。池の水は決して澄みきらず、かといって濁りきらない。水が流れ出る川も、流れ込む川もないのに水が減らない。蛙もわかず、藻も生えず、魚が多すぎて水より多いほど――という意味です。

史実実際には、猿沢池には地下の水路などから水が出入りしていると考えられています。池は749年に興福寺の放生会(生き物を池に放つ儀式)のために造られた人工の池です。

池に背を向けた神社――采女神社

伝承猿沢池のほとりに、池に背を向けて建つ小さな神社があります。采女(うねめ)神社です。奈良時代、天皇に仕えた采女(女官)が、天皇の寵愛が薄れたことを嘆いて猿沢池に身を投げました。彼女を祀る社が建てられましたが、采女の霊が自分が身を投げた池を見るのを嫌がり、一夜のうちに社が後ろを向いてしまった――と伝えられます(『大和物語』などにもとになる話があります)。

史実毎年中秋の名月の夜には、采女の霊を慰める「采女祭」が行われ、花扇を載せた管絃船が猿沢池をめぐります。

猿沢池と興福寺五重塔
猿沢池と興福寺五重塔奈良市登大路町

鹿の石子詰めと十三鐘

伝承昔、興福寺の寺子屋で習字をしていた三作という少年が、半紙をくわえた鹿に文鎮を投げつけたところ、当たりどころが悪く鹿は死んでしまいました。神の使いである鹿を殺した罪で、三作は鹿と一緒に穴に生き埋めにされる「石子詰め」の刑を受けた――という話です(鹿の部屋)。

伝承三作の母は、息子の死を嘆き、明け七つ(午前4時ごろ)と暮れ六つ(午後6時ごろ)の鐘に合わせて、毎日供養を続けたといいます。このため、六と七を足した「十三鐘」と呼ばれる鐘が、近くの菩提院大御堂にあります。境内には三作の墓とされる塚があり、母が植えたというもみじも伝わります。

元興寺の鬼「がごぜ」

伝承『日本霊異記』には、元興寺の鐘楼に毎晩鬼が出て鐘つきの童子を殺していたが、怪力の少年(のちの道場法師)が鬼と組み合い、夜明けまでに鬼の髪をむしり取って退治した、という話が載っています(元興寺の部屋)。この鬼は寺の名前から「元興寺(がごぜ)」と呼ばれ、子どもをこわがらせる言葉として各地に広まりました。地方によっては、おばけのことを「がごじ」「がんご」などと呼ぶのはその名残とも言われます。

法隆寺の七不思議

伝承法隆寺にも七不思議が伝わります。「法隆寺の伽藍には蜘蛛が巣を張らない」「雀が糞をしない」「地面に雨だれの穴があかない」「五重塔の上に鎌が刺さっている」などです。

史実このうち「鎌」は本当で、五重塔の相輪には4本の鎌が取り付けられています。落雷よけのまじないとされ、近くで見上げると確認できます。ほかの話は、太子の寺の神聖さを語るための伝承です(法隆寺の部屋)。

ここを見る:「奈良の都市伝説」の楽しみ方

伝説の多くは、その場所に行くと手がかりが残っています。采女神社の向き、十三鐘の鐘、法隆寺五重塔の鎌、元興寺のがごぜのお守り。話の真偽を確かめるつもりで歩くと、奈良の町の見え方が少し変わります。

主な参考資料:東大寺/采女神社/興福寺/法隆寺/元興寺/『大和物語』/『日本霊異記』/奈良市観光協会

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