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長谷寺
桜井市初瀬(はせ)の山あいに、長谷寺はあります。仁王門をくぐると、屋根のついた石段が山の上の本堂へとまっすぐに伸びています。平安時代、都の貴族の女性たちは、牛車と徒歩で何日もかけて、この寺の観音に会いにやってきました。
ラベルの意味:史実記録で裏づけ 有力説多くの研究・資料が支持 伝承言い伝え 都市伝説噂・地元の語りぐさ
全国の「長谷寺」の源
史実奈良の長谷寺は、真言宗豊山派の総本山です。十一面観音を本尊として「長谷寺」を名乗る寺は全国に約240あるとされ(宗派はさまざまで、鎌倉の長谷寺もその一つ)、奈良の長谷寺はその源とされます。
有力説寺伝では、686年に道明上人が天武天皇の病気平癒を願って寺を開き、727年に徳道上人が聖武天皇の命を受けて十一面観音を祀ったとされます。
399段の登廊
史実仁王門から本堂へ続く「登廊(のぼりろう)」は、399段の石段に屋根をかけた回廊で、上・中・下の三つに分かれ、全部で108間あります。1039年、春日大社の社司が子どもの病気が治ったお礼に寄進したのが始まりとされます(今の登廊は江戸時代以降の再建)。天井から吊るされた長谷型の灯籠が並ぶ光景は、長谷寺を象徴する景色です。


巨大な観音と、清水の舞台のような本堂
史実本尊の十一面観音立像(重要文化財)は、高さ10mを超える木造の像で、日本最大級の木造仏です。何度も火災で焼け、今の像は1538年に造られた8代目です。右手に錫杖、左手に水瓶を持つ「長谷寺式」と呼ばれる独特の姿で、地蔵菩薩の力もあわせ持つとされます。
史実本尊を納める本堂(国宝)は、徳川家光の寄進で1650年に完成しました。斜面に柱を組んで張り出した「懸造(かけづくり)」で、京都の清水寺本堂と同じ造りです。舞台からは、初瀬の山々と五重塔を見下ろせます。
平安の女性たちの「初瀬詣」
史実平安時代、長谷寺の観音は霊験あらたかとして信仰を集め、京都からの「初瀬詣(はつせもうで)」が流行しました。『枕草子』『蜻蛉日記』『更級日記』にも、作者たちが参詣した様子が描かれています。『更級日記』の作者・菅原孝標女は、参詣の途中で夢のお告げを受けた体験を記しています。
史実『源氏物語』の「玉鬘」の巻では、行方知れずだった玉鬘が、長谷寺へ向かう途中の椿市(海柘榴市)の宿で、母の侍女だった右近と偶然再会します。境内には、この物語にちなむ「二本の杉」が今もあります。
ここを見る:四季の「花の御寺」
長谷寺は「花の御寺」と呼ばれ、4月下旬から5月上旬は約7000株の牡丹、春は桜、6月は紫陽花、秋は紅葉と、一年中花に彩られます。牡丹は、唐の皇帝の后が長谷の観音に祈って救われ、お礼に牡丹を献じたのが始まりと伝承されます。
主な参考資料:長谷寺(真言宗豊山派総本山)公式サイト/文化庁 国指定文化財等データベース/『源氏物語』玉鬘巻/『更級日記』