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春日大社と春日山原始林
奈良公園の奥、杉と藤の森の中に朱色の社殿が並ぶ春日大社。参道には石と銅の灯籠が約3000基も立ち並びます。社殿の背後には、1000年以上も狩りと伐採が禁じられてきた原始林が、市街地のすぐ隣に広がっています。
世界遺産古都奈良の文化財(1998年)
ラベルの意味:史実記録で裏づけ 有力説多くの研究・資料が支持 伝承言い伝え 都市伝説噂・地元の語りぐさ
白い鹿に乗ってきた神
史実春日大社は、神護景雲2年(768年)に今の社殿が造られたと伝わる、藤原氏の氏神の社です。本殿には四柱の神が祀られています。第一殿の武甕槌命(たけみかづちのみこと)は常陸国の鹿島神宮から、第二殿の経津主命は下総国の香取神宮から、第三殿・第四殿の天児屋根命と比売神は河内国の枚岡神社から迎えられました。
伝承武甕槌命は、白い鹿に乗って鹿島から御蓋山(みかさやま)に降り立ったと伝えられます。このため奈良の鹿は神の使い「神鹿(しんろく)」として大切にされてきました(鹿の部屋)。
灯籠3000基、すべてが奉納品
史実参道に並ぶ約2000基の石灯籠と、回廊につり下げられた約1000基の釣灯籠は、平安時代から現代まで、貴族、武士、商人、庶民が願いを込めて奉納したものです。直江兼続や藤堂高虎といった戦国武将の名が刻まれた灯籠もあります。
史実年に2回、2月の節分と8月14・15日の夜に、すべての灯籠に火を入れる「万燈籠」が行われます。かつては奉納者が油料を納めて毎晩火をともしていた名残です。
20年に一度、社殿を新しく
史実春日大社には、約20年ごとに社殿を修理・建て替える「式年造替」の制度があり、平安時代から続いてきました。直近の第60次式年造替は2015〜2016年に行われています。本殿の朱色の塗り直しや屋根の葺き替えのほか、かつては社殿そのものを建て替えていました。
史実藤原氏の氏寺・興福寺とは、神と仏が一体の「神仏習合」の関係で、中世には二つを合わせて「春日社興福寺」と呼ぶほどでした(興福寺の部屋)。12月の「春日若宮おん祭」は、1136年から一度も途絶えずに続いているとされる祭りです。


春日山原始林――都のすぐ隣の「手つかずの森」
史実承和8年(841年)、朝廷は春日大社の神域である春日山での狩猟と樹木の伐採を禁じました。以来この森は神の山として守られ、標高約500mの山に、シイやカシなどの照葉樹に、モミやスギの大木が混じる森が残りました。人口30万人を超える奈良市の中心部から歩いて行ける場所に、こうした森があるのは世界でも珍しいことです。
史実1924年に国の天然記念物、1955年には特別天然記念物に指定され、1998年には春日大社とともに世界遺産「古都奈良の文化財」の構成資産となりました。
有力説一方で近年は、増えた鹿が若い木の芽を食べて森が次の世代へ育ちにくくなったり、外来種のナギやナンキンハゼが広がったりする問題が指摘されています。奈良県は柵で囲って若木を守る取り組みを進めています。守られてきた森を、これからどう守るかが問われています。
ここを見る:春日山遊歩道と若宮
原始林の中には、北側と南側をつなぐ遊歩道があります(南側は車道の「奥山ドライブウェイ」と並行)。春日大社本社から南へ歩いた先の若宮神社や、夫婦大國社と合わせて歩くと、社と森が一続きになっていることがわかります。
主な参考資料:春日大社公式サイト/奈良県「春日山原始林」保全計画資料/文化庁 文化遺産オンライン「古都奈良の文化財」/『続日本後紀』承和8年条