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室生寺
宇陀市の山深い谷、室生川に架かる朱の太鼓橋を渡ると、石段と杉木立の向こうに室生寺の堂塔が現れます。高野山が女性を受け入れなかった時代、この寺は女性にも門を開いていました。山の中腹には、高さ約16mの小さな五重塔が、杉の大木に囲まれて立っています。
ラベルの意味:史実記録で裏づけ 有力説多くの研究・資料が支持 伝承言い伝え 都市伝説噂・地元の語りぐさ
龍神の住む谷の寺
史実室生の地は、古くから龍神の住む場所として信仰されてきました。室生川の上流にある洞穴は「龍穴(りゅうけつ)」と呼ばれ、ここに祀られる室生龍穴神社は、朝廷が雨乞いや雨止みを祈る霊地でした。
有力説奈良時代の終わり、皇太子(のちの桓武天皇)の病気回復を祈るため、興福寺の僧・賢璟(けんけい)らがこの地で祈祷を行ったのが寺の始まりとされます。実際に伽藍を整えたのは、その弟子の修円だと考えられています。役行者が開いた、空海が再興した、という言い伝えもありますが、後の時代に付け加えられたものとみられます。
なぜ「女人高野」なのか
史実室生寺は中世を通じて興福寺と深く結びついた寺でしたが、江戸時代の元禄年間(1690年代)に真言宗の寺として独立しました。真言宗の聖地・高野山は明治時代まで女人禁制でしたが、室生寺は女性の参詣を許していました。そのため江戸時代以降、「女人高野」と呼ばれるようになります。
史実真言宗としての独立を後押ししたのは、5代将軍・徳川綱吉の生母である桂昌院でした。桂昌院は多額の寄進もしていて、堂塔の修理が行われています。女性たちの信仰を集める寺として、室生寺の名は広まっていきます。


小さな五重塔の大きな受難
史実五重塔(国宝)は800年ごろの建立とされ、木造五重塔としては法隆寺に次いで国内で2番目に古いものです。高さは約16mで、屋外にある国宝・重要文化財の木造五重塔としては日本最小。屋根の反りが浅く、各重の屋根の大きさの差が小さい、優しい姿をしています。
史実1998年9月22日、台風7号の強風で、塔のそばの樹齢数百年の杉が倒れ、塔の屋根を直撃しました。西北側の屋根や軒が大きく壊れ、垂れ下がりましたが、心柱をはじめ塔の骨格は無事でした。修理は1999年から2000年にかけて行われ、塔は元の姿を取り戻しました。
ここを見る:石楠花と、土門拳が愛した寺
4月下旬から5月上旬、境内の石段沿いに石楠花(シャクナゲ)が咲き、五重塔を彩ります。写真家の土門拳は生涯にわたって室生寺に通い、雪の室生寺を撮るために何年も待ち続けたと言われます。金堂に祀られてきた釈迦如来立像や十一面観音立像、弥勒堂にあった釈迦如来坐像など、平安時代初期の国宝の仏像は、境内の寳物殿で見ることができます。
主な参考資料:室生寺公式サイト/宇陀市観光協会/文化庁 国指定文化財等データベース/奈良県文化財保存事務所「室生寺五重塔災害復旧」資料