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東大寺と奈良の大仏
奈良時代、疫病と飢饉と反乱に揺れる国で、聖武天皇は「国じゅうの銅を溶かしてでも」大仏をつくると宣言しました。のべ260万人が関わったとも言われる国家事業。その大仏は2度焼け、そのたびに人々の寄付で立ち上がってきました。
世界遺産古都奈良の文化財(1998年)
ラベルの意味:史実記録で裏づけ 有力説多くの研究・資料が支持 伝承言い伝え 都市伝説噂・地元の語りぐさ
「天下の富を有つ者は朕なり」
史実天平15年(743年)10月、聖武天皇は近江の紫香楽宮で大仏造立の詔を出しました。詔には「天下の富を有つ者は朕なり、天下の勢を有つ者も朕なり」と自らの力を述べたうえで、「一枝の草、一把の土」でも持ち寄って協力したい人は許せ、と呼びかける一文があります。国の命令だけでなく、民の参加でつくる仏だという建前でした。
史実このころの日本は、天然痘の大流行(735〜737年)で藤原氏の四兄弟まで亡くなり、九州では藤原広嗣の乱(740年)が起きていました。聖武天皇は都を恭仁京・難波京・紫香楽宮と転々とさせた末、745年に平城京へ戻り、今の東大寺の地で大仏づくりを本格的に始めます。
史実民衆に人気のあった僧・行基は、かつて朝廷から活動を禁じられていましたが、大仏づくりの勧進(寄付集め)役に起用され、のちに日本で最初の大僧正となりました。
金がない国で、金色の大仏を
史実大仏の表面を金色にするには大量の金が必要でしたが、当時の日本では金は採れないと考えられていました。749年、陸奥国(今の宮城県)から金が見つかったという知らせが届き、国守の百済王敬福が金900両(約13kg)を献上します。聖武天皇は大いに喜び、年号を「天平感宝」に改めたほどでした。
史実天平勝宝4年(752年)4月9日、開眼供養が行われました。インド出身の僧・菩提僊那が筆で大仏の目を入れ、その筆に結ばれた紐を、集まった人々が握って功徳を分かち合ったといいます。この紐(開眼縷)は、今も正倉院に残っています(正倉院の部屋)。
2度の焼失と、江戸の再興
史実1180年(治承4年)、源平の争乱のなかで平重衡の軍が南都を焼き討ちし、大仏殿も大仏も焼けました。僧の重源が全国を回って寄付を集め、宋の技術者・陳和卿の力も借りて、1185年に大仏の開眼、1195年に大仏殿の落慶を果たします。
史実1567年(永禄10年)には、松永久秀と三好三人衆の戦いで再び大仏殿が焼けました。大仏の頭部は銅板で仮に補われ、仮の堂で覆われましたが、1610年に仮堂が大風で倒れてからは、80年近く雨ざらしでした。江戸時代に入り、僧の公慶が勧進を重ねて、1692年に大仏の開眼、1709年に今の大仏殿の落慶にこぎつけました。
史実今の大仏殿は棟までの高さ約49m、正面の幅約57mで、木造建築として世界最大級です。それでも資金が足りず、奈良時代の大仏殿より正面の幅は3分の2ほどに縮められました。大仏も、台座や体の一部に奈良時代の部分を残しつつ、頭部は江戸時代のものです。


南大門の仁王は、69日でつくられた
史実南大門は鎌倉時代の再建で、中国・宋の様式を取り入れた「大仏様」の代表です。門の左右に立つ高さ約8.4mの金剛力士像は、運慶・快慶らが1203年に、わずか69日で完成させました。1988〜93年の解体修理では、像の内部から運慶・快慶らの名を記した墨書が見つかっています。
ここを見る:柱の穴くぐり
大仏殿の北東の柱の根元には、四角い穴が開いています。くぐり抜けると無病息災のご利益がある、と言われ、修学旅行生や海外からの旅行者が列をつくります。「穴の大きさは大仏の鼻の穴と同じ」という話は有名ですが、確かめた記録はありません(伝説の部屋)。
二月堂のお水取り――1270回以上、一度も途絶えずに
史実大仏殿の東の高台に建つ二月堂では、毎年3月1日から14日まで「修二会(しゅにえ)」、通称お水取りが行われます。752年に東大寺の僧・実忠が始めたと伝わり、戦乱で大仏殿が焼けた年も中断されることなく、2026年までに1270回を超えて続いてきました。「不退の行法」と呼ばれます。
史実夜、僧が堂に上るときの足元を照らす大きな松明(たいまつ)が、舞台の欄干から火の粉を散らしながら走る光景は、奈良に春を告げる風物詩です。12日の深夜には、堂の下の若狭井(わかさい)から観音に供える水をくむ「お水取り」の儀式があります。
伝承修二会の初めに全国の神々を呼んだとき、若狭国(福井県)の遠敷明神だけが釣りに夢中で遅刻し、お詫びに若狭から水を送ると約束した――それが若狭井の始まりだと伝えられます。福井県小浜市では今も毎年3月2日に、奈良へ水を送る「お水送り」が行われています。
主な参考資料:東大寺公式サイト/『続日本紀』天平15年10月条・天平勝宝4年4月条/文化庁 国指定文化財等データベース/奈良国立博物館