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飛鳥の宮と寺

明日香村は、田んぼと低い丘が続くのどかな村です。けれど6世紀末から7世紀にかけて、天皇の宮が次々と置かれ、日本で最初の本格的な寺が建ち、大化の改新につながる事件が起きた、日本という国の「始まりの場所」でした。村のあちこちには、何のために作られたのかわからない石が転がっています。

世界遺産飛鳥・藤原の宮都(2026年)

ラベルの意味:史実記録で裏づけ 有力説多くの研究・資料が支持 伝承言い伝え 都市伝説噂・地元の語りぐさ

2026年、世界遺産に

史実2026年7月26日、韓国・釜山で開かれたユネスコの世界遺産委員会で、「飛鳥・藤原の宮都」の世界文化遺産登録が決まりました。日本の世界文化遺産としては22件目です。明日香村・橿原市・桜井市にまたがる19の構成資産のうち15が明日香村にあり、宮殿の跡、寺の跡、古墳がそろって「古代国家の誕生の地」を物語ります。

596年飛鳥寺の塔が完成(『日本書紀』)
645年乙巳の変(蘇我入鹿の暗殺)
19世界遺産「飛鳥・藤原の宮都」の構成資産

飛鳥寺――日本最初の本格寺院

史実588年、蘇我馬子は百済から寺づくりの技術者や瓦職人を招き、日本で最初の本格的な寺院・法興寺(飛鳥寺)の建設を始めました。596年に塔が完成し、塔を三つの金堂が囲む壮大な伽藍がつくられたことが、1956〜57年の発掘調査でわかっています。

史実本尊の飛鳥大仏(釈迦如来坐像、重要文化財)は、609年に仏師・鞍作止利(くらつくりのとり)が造ったとされる、制作年がわかる日本最古の仏像です。鎌倉時代の火災で大きく傷み、後の補修部分が多いものの、顔の一部などに飛鳥時代の部分が残るとされます。造られた場所から一度も動いていない仏像としても知られ、写真撮影も許されています。

史実飛鳥寺は平城京遷都とともに奈良へ移って元興寺になりましたが、飛鳥の地にも寺は残りました(元興寺の部屋)。

飛鳥大仏
飛鳥大仏明日香村飛鳥
酒船石
酒船石明日香村岡

乙巳の変――宮殿で起きた暗殺

史実645年6月、皇極天皇の宮・飛鳥板蓋宮で、外国の使者を迎える儀式の最中に、中大兄皇子(のちの天智天皇)と中臣鎌足らが、権勢をふるっていた蘇我入鹿を斬り殺しました。翌日、入鹿の父・蝦夷も自邸に火を放って自害し、蘇我氏の本家は滅びます。この「乙巳の変」から始まる政治改革が、大化の改新です。

史実飛鳥寺の西には、暗殺された入鹿の首が飛んできた場所と伝わる「入鹿の首塚」という五輪塔が田んぼの中に立っています(首が飛んだ話は伝承)。宮があった場所は「飛鳥宮跡」として発掘が進み、複数の天皇の宮が同じ場所で建て替えられてきたことがわかってきました。

何のための石なのか

史実飛鳥には、用途がよくわからない石造物が点在しています。丘の上にある酒船石は、長さ約5.5mの花崗岩の表面に、丸いくぼみと溝が刻まれた石です。酒を造った、薬を調合した、庭園の水の仕掛けだったなど、さまざまな説があります。

史実2000年、酒船石の北の谷から、亀の形をした石の水槽と小判形の水槽を組み合わせた「亀形石造物」が発掘されました。周囲には石敷きや階段が整えられていて、水を使った祭祀の場だったと考えられています。酒船石もこれと一体の施設だったという見方が有力です。

伝承村の西にある亀石は、亀のような顔をした長さ約3.6mの石です。「大和が湖だったころ、當麻の蛇と川原のナマズがけんかをし、負けた川原の側の水が當麻に取られて、たくさんの亀が死んでしまった。その亀を供養するために刻んだ。亀石が西を向くと、大和一帯は泥の海になる」という言い伝えがあります。今、亀石は南西を向いています。

ここを見る:猿石と鬼の俎・鬼の雪隠

欽明天皇陵の隣、吉備姫王墓の柵の中には、猿のような顔をした4体の石像「猿石」が並びます。江戸時代に田んぼから掘り出されたもので、誰が何のために作ったのかはわかっていません。近くの丘には、巨大な石が「まな板」と「便器」のように置かれた「鬼の俎(まないた)・鬼の雪隠(せっちん)」があります。実は一つの古墳の石室の床石とふたが分かれたもので、鬼が旅人を料理した、という話は伝承です。

主な参考資料:明日香村公式サイト/奈良県立橿原考古学研究所/文化庁「飛鳥・藤原の宮都」世界遺産推薦書/『日本書紀』崇峻紀・推古紀・皇極紀

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