トップ / 正倉院

正倉院

東大寺大仏殿の北西、塀に囲まれた林の中に、高床の大きな木の倉が一棟だけ建っています。1250年以上前に納められた宝物の多くが、土に埋もれることも盗まれることもなく、伝世品として守られてきました。世界でも例の少ない「生きている宝庫」です。

世界遺産古都奈良の文化財(1998年)

ラベルの意味:史実記録で裏づけ 有力説多くの研究・資料が支持 伝承言い伝え 都市伝説噂・地元の語りぐさ

夫の遺品を、大仏に

史実天平勝宝8歳(756年)、聖武太上天皇が亡くなると、四十九日に光明皇太后は、夫が愛用した品々を東大寺の大仏に献納しました。その目録が『国家珍宝帳』で、「これらを見ると在りし日が思い出され、悲しみに堪えない」という意味の言葉が記されています。献納はこの後も何度か行われ、東大寺の倉の一つだった正倉に納められました。

史実宝物はのちに天皇の許し(勅封)がなければ倉を開けられない仕組みで守られ、明治以降は国(今は宮内庁)が管理しています。現在、宝物は約9000件にのぼります。

756年光明皇太后による最初の献納
約9000件伝わる宝物の数
約33m正倉の正面の長さ(高さ約14m)

シルクロードの終着点

史実宝物の中には、ペルシャ(今のイラン)で作られたとされるカットガラスの器「白瑠璃碗」、インド起源の五弦の琵琶に夜光貝の螺鈿を施した「螺鈿紫檀五絃琵琶」、唐の楽器や鏡、新羅の器など、アジア各地から渡ってきた品が含まれます。一方で、唐の様式をまねて日本で作られた品も多く、どれが舶来品かは今も研究が続いています。

有力説西アジアから中国を経て奈良まで品物が届いていたことから、正倉院は「シルクロードの終着点」と呼ばれます。五弦の琵琶は、本場のインドや中国にも当時のものは残っておらず、世界で唯一の現存例とされています。

正倉院正倉
正倉院正倉奈良市雑司町

校倉造は「呼吸する倉」か

史実正倉は、断面が三角形の木材(校木)を井桁に組み上げて壁をつくる「校倉造(あぜくらづくり)」の倉で、北倉・中倉・南倉の三つに分かれています(中倉は板で囲った造り)。床は高さ約2.7mの柱で持ち上げられています。

都市伝説「湿気の多い日は校木が膨らんですき間を閉じ、乾いた日は縮んで風を通すので、宝物が守られた」という説明が、かつては教科書にも載りました。実際の調査では、木の膨張・収縮はわずかで、この仕組みは否定的に見られています。宝物が守られたのは、倉の中でさらに唐櫃(からびつ)という木の箱に納められていたことが大きいとされます。

史実今、宝物は1953年と1962年に建てられた鉄筋コンクリートの宝庫(東宝庫・西宝庫)に移され、空調のもとで保管されています。正倉そのものは1997年に国宝に指定され、1998年には世界遺産「古都奈良の文化財」の構成資産になりました。

天下人が切り取った香木

史実宝物の中で最も有名なものの一つが、長さ約1.5mの香木「黄熟香(おうじゅくこう)」、別名「蘭奢待(らんじゃたい)」です。名前の三文字の中に「東・大・寺」が隠されています。

史実1574年、織田信長は東大寺に命じてこの香木の一部を切り取らせました。香木には切り取った跡が残り、その場所を示す付箋が付けられています。足利義政や明治天皇も切り取ったとされ、切り跡は全部で38か所ほどあると言われます。

ここを見る:秋の正倉院展

宝物は正倉院では公開されていません。毎年秋(10月下旬〜11月中旬)、奈良国立博物館で開かれる「正倉院展」で、毎年60件前後が入れ替わりで公開されます。一度出た宝物が再び出るのは10年に一度ほどと言われ、何年も通い続けるファンがいます。正倉の外観は、平日(年末年始などを除く)に外構から見学できます。

主な参考資料:宮内庁正倉院事務所「正倉院」公式サイト/奈良国立博物館「正倉院展」/『国家珍宝帳』/文化庁 文化遺産オンライン

広告