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薬師寺
奈良の西ノ京に、色の違う二つの塔が並んでいます。くすんだ色の東塔は奈良時代から立ち続ける唯一の建物、鮮やかな朱色の西塔は1981年に建てられたものです。昭和の伽藍を建て直したお金は、100万人を超える人々が一巻ずつ納めた写経から生まれました。
世界遺産古都奈良の文化財(1998年)
ラベルの意味:史実記録で裏づけ 有力説多くの研究・資料が支持 伝承言い伝え 都市伝説噂・地元の語りぐさ
夫が妻のために建てた寺
史実天武9年(680年)、天武天皇は皇后(のちの持統天皇)の病気が治るよう願って、薬師寺の建立を発願しました。皇后は回復しましたが、天武天皇は寺の完成を見ずに686年に亡くなり、持統天皇が工事を引き継ぎます。寺はまず藤原京に建てられ(本薬師寺、藤原京の部屋)、平城京遷都ののち、今の西ノ京の地に移されました。
三重なのに、六重に見える塔
史実東塔は、一見すると屋根が六つある六重塔に見えます。実は各層に「裳階(もこし)」と呼ばれる小さな屋根が付いているためで、構造は三重塔です。大きな屋根と小さな屋根が交互に重なり、独特のリズムを生んでいます。
史実塔のてっぺんの相輪には、透かし彫りの「水煙(すいえん)」が付いています。天を舞う飛天(天女)が笛を吹き、花をまく姿が彫られています。
伝承炎の形をしているのに「水煙」と呼ぶのは、塔が火事にあわないよう「火」を嫌ったからだと言われます。
史実東塔は2009年から約110年ぶりの解体修理に入り、2020年12月に工事を終え、2023年4月に落慶法要が行われました。
「凍れる音楽」は誰の言葉か
都市伝説東塔の美しさは「凍れる音楽」とたたえられ、明治時代に来日したアメリカ人フェノロサの言葉だとよく紹介されます。しかし、フェノロサがそう言った記録は確認されていません。「建築は凍れる音楽である」という表現自体は、19世紀のドイツで哲学者シェリングや作家ゲーテらが使ったものとして知られ、それが東塔の説明に結びついて広まったと考えられています。


お写経で建て直した伽藍
史実薬師寺は1528年の兵火で金堂・西塔などを失い、長く仮の金堂のまま過ごしてきました。1967年に住職(管主)になった高田好胤は、「物で栄えて心で滅ぶ」と説き、全国の人々に般若心経を一巻ずつ書いて納めてもらう「お写経勧進」を始めます。納経料は一巻1000円(当初)。修学旅行生への軽妙な法話で人気を集めた高田は、各地を回って写経を呼びかけました。
史実写経が100万巻に達した1976年に金堂が、1981年には西塔が再建されました。その後も中門、回廊、大講堂、食堂と、奈良時代の伽藍の復興が続いています。建物の多くは、宮大工の棟梁・西岡常一らの手によるものです。
有力説新しい西塔は、東塔より約30cm高く建てられました。木材が年月とともに縮んで、数百年後には東塔と同じ高さになるよう計算されたと説明されています。
ここを見る:金堂の薬師三尊
金堂の本尊・薬師如来と、左右の日光・月光菩薩(国宝)は、黒光りする銅の像です。火災で表面の金が失われ、この色になりました。台座には、ギリシャ風のぶどう唐草文や、ペルシャ風の模様、四神が刻まれ、シルクロードを通じた文化の広がりが見てとれます。
主な参考資料:薬師寺公式サイト/『日本書紀』天武9年11月条/奈良県文化財保存事務所「薬師寺東塔保存修理」資料/文化庁 国指定文化財等データベース