トップ / 大峯山と修験道

大峯山と修験道

ほら貝の音が山に響き、白い装束に結袈裟をかけた山伏たちが岩場を登っていく。奈良県南部の大峯山は、山にこもって修行し、自然の力を身につけようとする日本独特の宗教「修験道」の根本道場です。そして今も、女性が登ることのできない山でもあります。

世界遺産紀伊山地の霊場と参詣道(2004年)

ラベルの意味:史実記録で裏づけ 有力説多くの研究・資料が支持 伝承言い伝え 都市伝説噂・地元の語りぐさ

修験道とは

史実修験道は、日本古来の山岳信仰に、仏教(とくに密教)や道教、神道の要素が混ざり合って生まれた信仰です。山伏(修験者)は山の中を歩き、岩場や滝で厳しい修行を積むことで、霊的な力を得ようとします。明治時代の1872年には修験道廃止令が出され、多くの山伏が僧侶や神職に転じましたが、戦後に再び宗派として復活しました。

史実開祖とされる役小角(役行者)は7世紀後半の実在の人物で、『続日本紀』には、人々を惑わしたとして699年に伊豆へ流されたと記されています。鬼神を使役し、空を飛んだといった話はのちの伝承です。

1719m山上ヶ岳(大峯山)の標高
5月3日山上の大峯山寺の「戸開け」
9月23日同じく「戸閉め」

山上ヶ岳と「西の覗」

史実一般に「大峯山」と呼ばれるのは山上ヶ岳(標高1719m)で、山頂近くに大峯山寺の本堂(重要文化財)が建ちます。本堂が開かれるのは毎年5月3日から9月23日まで。この期間、全国の講(信者の団体)が登拝に訪れます。

史実修行の場の中でも有名なのが「西の覗(にしののぞき)」です。行者は命綱をつけられ、絶壁の上から逆さに身を乗り出させられて、「親孝行するか」「家業に励むか」と問われ、誓いの言葉を叫びます。

史実吉野から大峰山脈の尾根を南へ縦走し、熊野本宮へ至る修行の道が「大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)」です。標高1000〜1900m級の峰々を越える道で、2004年に世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部となりました。

大峯山の女人結界門
大峯山の女人結界門天川村洞川
洞川温泉の旅館街
洞川温泉の旅館街天川村洞川

1300年続く女人禁制

史実大峯山は、山上ヶ岳一帯への女性の立ち入りを禁じる「女人結界」を今も守っている、日本で数少ない山です。登山道の入口には「女人結界門」が立ち、「従是女人結界(これより女人結界)」と刻まれた石碑があります。明治時代に多くの霊山で女人禁制が解かれ、大峯山でも1970年に結界の範囲が縮められましたが、山上ヶ岳周辺の結界は続いています。

史実2004年の世界遺産登録をきっかけに、「人類共通の遺産で女性を締め出すのは差別ではないか」という議論が国内外で起き、反対の署名運動や、女性グループによる登山の試みもありました。一方、寺と地元の信者団体は「宗教上の伝統」として結界を維持する姿勢を示しています。伝統と平等をどう考えるか、今も答えの出ていない問題です。

ここを見る:洞川温泉と陀羅尼助

大峯山の登山口にある天川村・洞川(どろがわ)は、山伏や講の人々を泊めてきた宿場町です。木造の旅館が並び、夜は軒先の提灯がともります。名物の「陀羅尼助(だらにすけ)」は、キハダの皮などを煮詰めた苦い胃腸薬で、役行者が始めたと伝承されます。修行者が苦さに耐えるために陀羅尼(お経)を唱えたのが名の由来とも言われます。

天河大辨財天社――芸能の神の社

史実天川村坪内にある天河大辨財天社(天河神社)は、役行者が大峯山の守り神として弁財天を祀ったのが始まりと伝わる社です。弁財天は芸能・音楽の神とされることから、能楽の観世家とのつながりが深く、多くの能面や能装束が伝わっています。現代でも、ミュージシャンや俳優が参拝に訪れることで知られています。

有力説南北朝時代には、南朝の天皇や皇族が天川に身を寄せたとされ、南朝とのゆかりも深い土地です(吉野山の部屋)。

主な参考資料:大峯山寺/天川村「洞川温泉」観光資料/文化庁 文化遺産オンライン「紀伊山地の霊場と参詣道」/『続日本紀』文武3年5月条

広告