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00 — ORIGINS

飛騨の匠

奈良時代、日本の国々は米や布を税として都へ納めていました。ところが飛騨の国だけは、その代わりに大工を送り出していたのです。平城京や大寺院の造営を支えた「飛騨の匠」。1300年前に始まった木の技の物語は、今も高山の町に生きています。

ラベルの意味:史実記録で裏づけ 有力説多くの研究・資料が支持 伝承言い伝え 都市伝説噂・地元の語りぐさ

税の代わりに、大工を送る

史実奈良時代の法律(養老令の賦役令)には、飛騨国についての特別な決まりがありました。ほかの国の人々が納める「庸」と「調」という税を免除する代わりに、里(さと)ごとに10人の大工を選んで都へ送れ、というものです。任期は1年。里に残った人々は米を集めて、都で働く大工たちの食料にしました。

史実都へ送られた大工は「匠丁(たくみのよぼろ)」と呼ばれ、毎年100人前後が都へ上ったといわれます。彼らは宮殿や役所、寺院の建設に加わり、奈良の平城京、そして京都の平安京の造営を支えました。この制度は、少なくとも平安時代まで続いたと考えられています。

10人里ごとに選ばれた匠丁の数
1年匠丁の任期
約100人毎年都へ上った匠丁(とされる)

なぜ飛騨だったのか

有力説山に囲まれた飛騨は、田が少なく、米や布を十分に納めるのが難しい土地でした。一方で、豊かな森林に囲まれ、人々は昔から木を扱う技にすぐれていました。国は、飛騨から物ではなく技術と労働力を取り立てることにしたのだと考えられています。

有力説ただ、故郷を遠く離れた都での仕事は厳しいものでした。古い記録には、都から逃げ出した飛騨の匠を探し出すよう命じた記事も残っており、匠たちの苦労がしのばれます。

伝説になった「飛騨の匠」

史実やがて「飛騨の匠(飛騨工)」は、腕の良い大工の代名詞になりました。平安時代の終わりにまとめられた『今昔物語集』には、飛騨の匠が都の絵師と知恵比べをする話が登場します(伝説の部屋)。万葉集にも、飛騨の匠が打つ墨縄を詠んだ歌があります。

史実2017年、飛騨の匠の技と心を伝える文化財の数々は、文化庁の「日本遺産」に「飛騨匠の技・こころ ―木とともに、今に引き継ぐ1300年―」として認定されました。その技は、町家や祭り屋台、家具づくりへと受け継がれています(祭りの部屋・工芸の部屋)。

ここを見る:安国寺の経蔵

高山市国府町の安国寺には、室町時代の1408年に建てられた経蔵(お経を納める建物)が残り、国宝に指定されています。中には、お経を納めた八角形の棚を回転させる「輪蔵(りんぞう)」があり、日本に残る最も古い輪蔵とされます。飛騨の大工の技を今に伝える建物です。

飛騨国分寺の三重塔
飛騨国分寺高山市総和町
安国寺経蔵
安国寺経蔵高山市国府町

主な参考資料:国税庁「律令国家の免税(斐陀国)」/文化庁 日本遺産ポータル「飛騨匠の技・こころ」/高山市「高山の歴史」/高山市「安国寺経蔵」

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