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03 — SHOGUNATE RULE
高山陣屋と天領
江戸時代、全国には幕府の役人が土地を治めるための役所が60か所以上ありました。そのうち、当時の建物が今も残っているのは、高山陣屋ただ一つです。177年にわたって飛騨を治めた幕府の役所と、その支配に立ち向かった農民たちの物語をたどります。
ラベルの意味:史実記録で裏づけ 有力説多くの研究・資料が支持 伝承言い伝え 都市伝説噂・地元の語りぐさ
飛騨が天領になった日
史実1692年、金森氏が出羽国へ移されると、飛騨は幕府が直接治める天領(幕府直轄領)になりました(城下町の部屋)。代わりに江戸から役人が派遣され、金森氏の下屋敷だった建物が役所として使われるようになります。これが高山陣屋です。
有力説幕府が飛騨を直接治めた理由は、飛騨の豊かな森林資源と、神岡などの鉱山にあったと考えられています。江戸の町の建設や修理には、大量の木材が必要でした(神岡の部屋)。
史実はじめは代官所でしたが、1777年には格上げされて郡代役所になりました。明治維新までの177年間に、25人の代官・郡代がここで飛騨を治めています。
18年続いた大原騒動
史実1771年から1789年にかけて、飛騨では農民たちの大規模な一揆が繰り返し起きました。郡代・大原彦四郎とその子・亀五郎の時代に起きたことから、「大原騒動」と呼ばれます。
史実きっかけは、幕府の御用木の伐採を止める代わりに米の年貢を増やす政策や、田畑を測り直して年貢を引き上げる検地でした。農民たちは寺に集まって訴え、江戸まで直訴に向かった者もいます。一揆は厳しく鎮圧され、多くの農民が死罪や流罪などの重い処罰を受けました。
史実一方で、最後の天明の騒動ののち、農民の訴えが幕府に認められ、郡代の亀五郎は処罰されました。高山市内には、騒動で命を落とした人々をしのぶ碑が残っています。
明治以降も役所だった
史実明治維新ののちも、陣屋の建物は高山県や筑摩県の役所、そして岐阜県の役所として使われ続けました。役所としての役目を終えたのは1969年のことです。その後、岐阜県が復元と整備を進め、1996年に江戸時代の姿がよみがえりました。1929年には国の史跡に指定されています。
ここを見る:御蔵(おくら)と御白洲
陣屋の敷地の奥にある大きな御蔵は、年貢米を納めた蔵で、高山城の三の丸にあった米蔵を移したものと伝えられます。全国でも最も古く大きな米蔵の一つです。表の建物では、罪人を取り調べた御白洲もそのまま見られます。陣屋の門前では、毎朝「陣屋前朝市」が開かれています(暮らしの部屋)。


主な参考資料:岐阜県 高山陣屋管理事務所/高山市「高山陣屋跡」「高山の歴史」/文化庁 国指定文化財等データベース