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07 — SHOKAWA
荘川桜と御母衣ダム
春、御母衣(みぼろ)ダムの湖畔に、2本の大きな桜が咲きます。この桜は、ダムの底に沈んだ村の寺に立っていたものです。「老木の移植は無理だ」と言われながら、湖畔へ移された樹齢約450年の桜。ふるさとを失った人々と、桜を守ろうとした人々の物語です。
ラベルの意味:史実記録で裏づけ 有力説多くの研究・資料が支持 伝承言い伝え 都市伝説噂・地元の語りぐさ
ダムに沈む村
史実戦後の日本は、復興と経済成長のために大量の電力を必要としていました。国策会社の電源開発は、飛騨の庄川の上流に大きな御母衣ダムを建設します。岩や石を積み上げてつくるロックフィルダムで、1961年に完成しました。
史実ダムの建設によって、荘川村(今の高山市荘川町)と白川村の一部の集落が湖の底に沈むことになりました。住民たちは激しい反対運動を続けましたが、最後は補償を受け入れ、ふるさとを離れていきます。
「この桜を救えないか」
史実沈む村の光輪寺と照蓮寺には、2本の大きなエドヒガン桜がありました。現地を訪れた電源開発の初代総裁・高碕達之助は、この桜を見て移植を思い立ち、桜の研究者として知られた笹部新太郎に協力を依頼します。
史実樹齢約450年と推定される老木の移植は、専門家の間でも「成功するはずがない」と言われるほどの難事業でした。枝や根を大きく切り詰め、重機で運び上げ、1960年12月、2本の桜は湖を見下ろす高台に植え直されました。翌年の春、桜は芽を吹き、やがて再び花を咲かせます。この2本の桜は「荘川桜」と呼ばれるようになりました。
桜の道
史実荘川桜の物語に心を動かされた一人が、名古屋と金沢を結ぶ国鉄バスの車掌だった佐藤良二です。佐藤は「太平洋と日本海を桜で結ぼう」と、バス路線沿いに桜の苗木を植え続けました。病に倒れるまでに植えた桜は、約2,000本にのぼるといわれます。
史実照蓮寺の本堂も湖底に沈むことはありませんでした。室町時代に建てられたとされるこの本堂は、高山市の城山のふもとに移されて、今も国の重要文化財として残っています(城下町の部屋)。
ここを見る:湖面に残る村の記憶
荘川桜の咲く高台は、国道156号沿いにあります。桜の下には、移植の経緯を記した碑が建っています。湖の水位が下がる時期には、湖底に沈んだ村の道や石垣の跡が見えることもあります。花の時期には、かつての村人やその子孫も桜のもとを訪れます。


主な参考資料:J-POWER(電源開発)「荘川桜物語」/白鹿記念酒造博物館「笹部さんと荘川桜」/高山市「照蓮寺本堂」/nippon.com「荘川桜」