謎を解く

平安京と怨霊

華やかな王朝文化の裏で、平安京は「祟り」におびえる都市だった。都の設計図も、祭りも、神社も、怨霊対策から読み解ける。

地形を読む朱雀大路は、いまの千本通

大内裏 朱雀大路 羅城門 右京 左京
平安京。朱雀大路の西が右京、東が左京

794年、桓武天皇は長岡京からわずか10年で都を移し、平安京を開いた。東西約4.5km、南北約5.2kmの碁盤の目の都市。その中央を南北に貫くメインストリートが朱雀大路で、幅は約84m(28丈)もあった。史実 今の片側3車線の幹線道路よりずっと広い、儀式のための大通りだ。

では、その朱雀大路は今どこにあるのか。答えは、西陣や二条駅の近くを走る千本通。現在の千本通が、ほぼ朱雀大路の位置を受け継いでいる。史実 観光客で賑わう烏丸通や河原町通ではなく、地元の生活道路こそが、かつての都の背骨だった。

千本丸太町の住宅街にひっそり立つ大極殿跡の碑。ここが平安京の中心だった
千本丸太町の住宅街にひっそり立つ大極殿跡の碑。ここが平安京の中心だった

謎を解く平安神宮は「8分の5」の平安京

観光客に人気の平安神宮。朱塗りの社殿はいかにも平安時代風だが、建てられたのは1895年、平安遷都1100年を記念してのことだ。史実 社殿は、平安京の朝堂院(政庁)を約8分の5の規模で再現したものとされる。史実

しかも場所は、本来の平安京の外。岡崎は当時、都の東の郊外だった。「平安時代の建物」ではなく、「明治の人が思い描いた平安時代」を見に行く、と思うと、平安神宮はぐっと面白くなる。時代祭も、このとき始まった明治生まれの祭りだ。

因果の連鎖怨霊が、都を動かした

祟りを恐れることが、平安京の政治だった

平安京への遷都そのものに、怨霊の影がある。桓武天皇の弟・早良親王は、長岡京造営の責任者が暗殺された事件に連座して廃され、無実を訴えて絶食し、淡路へ流される途中で亡くなった。その後、桓武天皇の周辺では近親者の死や疫病が相次ぎ、占いは「早良親王の祟り」と告げる。史実

長岡京を捨てて平安京へ移った理由には、洪水や政治的事情など複数の説があるが、怨霊からの逃避もその一つに数えられる。有力説 早良親王はのちに「崇道天皇」の名を贈られ、京都市左京区の崇道神社などに祀られている。

道真の雷と、北野天満宮

もう一人の大怨霊が菅原道真だ。学者から右大臣にまで上りつめたが、左遷されて大宰府で没する。その後、道真を陥れた側の人々が次々と死に、930年には内裏の清涼殿に雷が落ちて死傷者が出た。史実 人々はこれを道真の祟りと考え、947年ごろ北野の地に道真を祀った。これが北野天満宮の始まりとされる。有力説

「学問の神様」として受験生が合格祈願に訪れる天神さんは、もとは祟り神を鎮めるための社だった。華やかな祈りの場の根っこに、恐れがある──これが京都の神社を読み解く鍵だ。

謎を解く御所の塀は、角が欠けている

京都御所の北東角「猿ヶ辻」の猿。夜に抜け出さないよう金網の中にいる
京都御所の北東角「猿ヶ辻」の猿。夜に抜け出さないよう金網の中にいる

京都御所の築地塀をぐるりと歩くと、北東の角だけが内側に凹んでいることに気づく。北東は陰陽道で鬼が出入りする方角「鬼門」。角をなくすことで鬼の入り口そのものを消してしまおう、という発想だ。史実

この角は「猿ヶ辻(さるがつじ)」と呼ばれ、軒下には烏帽子をかぶり御幣をかついだ木彫りの猿が金網の中に置かれている。猿は「魔が去る」に通じ、鬼門を守る。夜になると猿が抜け出していたずらをしたので金網で閉じ込めた、という伝説がある。伝承

謎を解く羅城門 ── 世界語になった都の正門

朱雀大路の南の端には、都の正門羅城門がそびえていた。しかし平安時代の半ばには倒壊し、再建されないまま荒廃していく。史実 今、九条通沿いの小さな児童公園に「羅城門遺址」の石碑が立つだけだ。

荒れ果てた門には死体が捨てられ、鬼が棲むと噂された。この「今昔物語集」の説話をもとに芥川龍之介が書いたのが『羅生門』、さらにそれを下敷きにした黒澤明の映画『羅生門』は1951年のヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受け、“Rashomon effect”(羅生門効果)という言葉が世界中で使われるようになった。史実 石碑一本しか残らない門が、世界の語彙になった。

人に迫る安倍晴明と一条戻橋

一条戻橋。死者が蘇ったという伝承の橋
一条戻橋。死者が蘇ったという伝承の橋

陰陽師・安倍晴明は実在の人物で、天文や占いを司る陰陽寮に仕えた。史実 その屋敷跡とされる場所に建つのが晴明神社だ。晴明は式神(使役する精霊)を一条戻橋の下に隠していた、という伝説が残る。伝承

一条戻橋にはもう一つの有名な伝承がある。918年、学者の三善清行が亡くなり、熊野から急ぎ戻った息子の浄蔵がこの橋で棺に出会って祈ると、父が一時蘇ったという。伝承 「戻橋」の名はここから来たとされる。

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