因果の連鎖京都は、原爆の「第一目標」だった
1945年5月、アメリカで原爆の投下目標を検討する委員会が開かれた。そこで最有力の候補に挙げられたのが、京都だった。史実 人口が多く、周囲を山に囲まれた盆地で爆風の効果を測りやすく、しかもそれまで大規模な空襲を受けていなかったからだ。
これに強く反対したのが、陸軍長官ヘンリー・スティムソンだった。スティムソンは、日本の文化の中心である京都を破壊すれば、戦後の日本人の反感が長く残り、日本を敵側に追いやることになる、と主張した。史実 彼は目標リストから京都を外すよう何度も求め、最終的にトルーマン大統領もこれを認めた。京都の代わりに候補に加えられたのが、長崎だった。史実
- 1926年・1929年スティムソンが京都を訪れる。史実
- 1945年5月京都が原爆投下目標の候補に。
- 1945年7月スティムソンの強い反対で、京都が目標から外れる。
- 1945年8月広島と長崎に原爆が投下される。
「新婚旅行で京都を訪れたから」説の真偽
この話には、有名な尾ひれがついている。「スティムソンは新婚旅行で京都を訪れ、その美しさが忘れられなかったから京都を救った」というものだ。映画をきっかけに、海外でもよく知られるようになった。都市伝説
ところが、核の歴史の研究者アレックス・ウェラースタインによると、スティムソンの結婚は1893年で、新婚旅行で日本を訪れたという記録は見つかっていない。スティムソンが京都を訪れたのは、フィリピン総督に就任する前後の1926年と1929年のことだった。史実 「新婚旅行説」は、2000年代以降に広まった比較的新しい俗説とされている。有力説
世界とつながるパリと京都 ── たった一つの「友情盟約」
京都市は世界の多くの都市と姉妹都市の関係を結んでいるが、その中で特別なのがパリだ。パリ市は原則として姉妹都市をもたない方針をとっているため、京都とは「友情盟約」という特別な形で1958年に提携を結んだ。史実
どちらも川の流れる古い都で、町並みを守るために建物の高さを厳しく制限している。セーヌ川と鴨川、ノートルダムと東寺。二つの古都は、似た悩みと誇りを分かち合っている。
世界とつながる宇治に残る「明」の寺 ── 萬福寺と明朝体

宇治の萬福寺は、境内に一歩入ると、まるで中国に来たかのような錯覚を覚える寺だ。1661年、中国・福建の黄檗山萬福寺から来日した高僧隠元隆琦が開いた、黄檗宗の大本山である。史実 伽藍は明の時代の様式で建てられ、今も中国風の読経が行われている。
隠元は、多くのものを日本にもたらしたと言われる。インゲン豆(隠元豆)、中国風の精進料理である普茶料理、そして煎茶の文化。有力説
そしてもう一つ、隠元の弟子・鉄眼道光がつくった大蔵経の版木(鉄眼版一切経)が、萬福寺の塔頭・宝蔵院に今も保存されている。史実 この版木に彫られた文字は、日本の明朝体のルーツの一つとされる。有力説 また1ページ20字×20行の組み方が、400字詰め原稿用紙のもとになったとも言われる。有力説 今あなたが読んでいるこの文字の形も、遠く福建から宇治へ渡ってきたのかもしれない。
人に迫る台湾の総統が学んだ町
台湾の民主化を進めた元総統・李登輝は、若き日を京都で過ごした。1943年、京都帝国大学(現・京都大学)の農学部に入学し、農業経済を学んだ。史実 在学中に学徒出陣で陸軍に入り、戦後は台湾へ戻って台湾大学で学びを続けた。史実
李登輝は後年、京都で学んだ日々や、そこで読んだ本、出会った師を、しばしば懐かしそうに語ったと伝えられる。有力説 総統を退いたあとの2004年には来日し、京都を訪れている。史実 台湾から京都を訪れる旅行者が、京都大学の構内を歩いてみるのも一興だ。
世界とつながる世界のクリエイターが愛した京都
アップルの創業者スティーブ・ジョブズは、禅に強い関心を持ち、京都を何度も訪れたことで知られる。伝記では、子どもを連れて京都を旅した思い出が語られている。有力説 また、京都の寺の庭──特に枯山水は、ミニマルなデザインを愛する世界のデザイナーや建築家に大きな影響を与えてきた。