地形を読む

京の食と水

京都人はパンが好き。牛肉も好き。「はんなり」の裏で、じつは新しもの好きの舌をもつ。その食を根っこで支えるのは、やはり地下の水だった。

謎を解く京都は「パンの町」

「京都の朝ごはん」と聞いて、湯豆腐やお粥を思い浮かべる人は多いだろう。ところが統計が語る京都は、まったく違う顔をしている。総務省の家計調査で、京都市はパンへの支出額が全国トップクラスの常連なのだ。史実 コーヒーや牛肉への支出も多い都市として知られている。史実

理由はいくつか考えられている。古くから職人の町で、朝早くから仕事を始める人が手早く食べられるものを好んだこと。大学が多く、学生や研究者が多いこと。そして何より、京都の人がじつは新しもの好きであること。有力説 明治のはじめ、都を失った京都が「日本初」を次々と取り入れたように(→都を失った町の逆襲)、食べものにも新しいものをどんどん取り入れてきた。

地形を読む豆腐と湯葉は、地下水の贈りもの

京都の豆腐がおいしいと言われる理由の一つは、水だ。京都盆地の地下に眠る豊富でやわらかな地下水(→盆地と水の都)は、大豆の味を引き出し、なめらかな豆腐を生む。有力説 豆乳を温めて表面にできる膜をすくい上げる湯葉も、京都を代表する食材だ。

豆腐や湯葉が発達したもう一つの背景は、寺の多さ。肉や魚を使わない精進料理で、たんぱく源として大豆製品が重宝された。南禅寺や嵯峨野の湯豆腐は、禅寺の食文化から生まれたものだ。史実

地下水が生んだ京都の豆腐
地下水が生んだ京都の豆腐

謎を解く「おばんざい」は、意外と新しい言葉

京都の家庭料理を「おばんざい」と呼ぶのは、今では当たり前になった。ところがこの言葉、京都の家庭で昔からふつうに使われていたわけではない。有力説

「おばんざい」が広く知られるようになったきっかけは、1964年に朝日新聞の京都版で始まった同名のコラムだとされる。筆者の一人だった随筆家・大村しげらが、京都の日々のおかずを紹介し、言葉とともに広まっていった。史実 連載当時から「京都の人はこういう言い方はほとんどせず、単に『おかず』と呼ぶ」と言われていたという。史実

今、京都の町には「おばんざい」の看板を掲げる店がたくさんある。言葉は新しくても、そこで出てくる、京野菜の炊いたん、ひじきの煮物、おあげさんと青菜の炊き合わせは、まさに京都の家庭の味だ。

因果の連鎖海から遠い都の「魚」の知恵

海のない京都で、魚はどうやって食べられてきたのか。答えの一つが、若狭(福井県小浜)から京都へ魚を運んだ道、通称「鯖街道」だ。史実 若狭で獲れた鯖に塩をふり、一昼夜かけて京都へ運ぶと、ちょうどいい塩加減になった。「京は遠ても十八里」という言葉が伝わっている。伝承 京都の鯖寿司は、この道から生まれた。

もう一つが、夏の京都を代表する魚鱧(はも)だ。鱧は生命力がとても強く、水から揚げても長く生きていられたため、冷蔵技術のない時代でも、瀬戸内海などから生きたまま京都まで運ぶことができた、と言われる。有力説 小骨の多い鱧を、皮一枚残して細かく包丁を入れる「骨切り」は、京都の料理人の腕の見せどころ。祇園祭の頃に旬を迎えるため、祇園祭は「鱧祭」とも呼ばれる。史実

最前線ラーメンと餃子の意外な聖地

上品な京料理のイメージとは裏腹に、京都はラーメンの激戦区でもある。とろとろのスープで知られる「天下一品」は、1971年に京都・北白川の屋台から始まった。史実 「餃子の王将」の1号店も、1967年に京都・四条大宮で開店している。史実

学生の町、職人の町、そして夜遅くまで働く人の町。京都の胃袋は、はんなりしているだけではない。

地形を読む伏見の酒 ── 水が決めた味

京都の南・伏見は、日本有数の酒どころ。桃山丘陵をくぐって湧き出す伏流水は、ほどよくミネラルを含んだ中硬水で、きめ細かく、まろやかな口当たりの酒を生むとされる。有力説 兵庫・灘の硬い水で造る辛口の「男酒」に対して、伏見の酒は「女酒」と呼ばれてきた。有力説

伏見には今も酒蔵が並び、濠川を十石舟が行き交う。酒蔵の近くでは、仕込み水と同じ湧き水を汲める場所もある。京都の食をたどると、最後には必ず、足元の水に行き着く。

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