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08 — APPLES

りんごの青森

日本のりんごの約6割は青森県で育っています。そのすべての始まりは、明治のはじめに国から届いた、わずか3本の苗木でした。刀を鍬に持ち替えた士族たち、病気や害虫との戦い、そして台風の年に生まれた「落ちないりんご」。りんご王国の150年をたどります。

ラベルの意味:史実記録で裏づけ 有力説多くの研究・資料が支持 伝承言い伝え 都市伝説噂・地元の語りぐさ

3本の苗木

史実1875年(明治8年)の春、国(内務省)から青森県に西洋りんごの苗木3本が配られ、県庁の敷地に植えられました。これが青森県のりんご栽培の始まりとされています。

史実栽培を広めたのは、仕事を失った弘前の士族たちでした。なかでも菊池楯衛は、接ぎ木の技術を学んで苗木を増やし、各地に配って「青森りんごの始祖」と呼ばれています。明治の宣教師ジョン・イングも、弘前でりんごを紹介した一人として知られています。

3本1875年に配られた苗木
約6割全国のりんご生産に占める青森県の割合
1962「ふじ」と命名

日本一古いりんごの木

史実つがる市の農園には、1878年に植えられた日本最古のりんごの木が残り、県の天然記念物に指定されています。140年以上たった今も、毎年実をつけています。

史実明治の後半には、病気や害虫が広がって、りんご園が全滅の危機に陥りました。農家は、実の一つひとつに紙の袋をかける「袋かけ」や、薬剤の散布を工夫して乗り越えていきます。りんごの木を低く仕立て、よく日が当たるように枝を切る剪定の技術も磨かれました。この剪定の技術は、のちに弘前城の桜を守ることにもなります(弘前の部屋)。

「ふじ」は藤崎で生まれた

史実今、世界で最も多く生産されているりんごの品種の一つ「ふじ」は、青森県藤崎町にあった国の園芸試験場で、「国光」と「デリシャス」をかけ合わせて生まれました。1962年に命名されています。

有力説名前の「ふじ」は、生まれた町の藤崎と、日本一の山・富士山にちなんだといわれます。

1991年、りんご台風

史実1991年9月、台風19号が青森県を襲い、収穫を前にしたりんごの多くが強風で落ちてしまいました。「りんご台風」と呼ばれるこの被害は、農家に大きな打撃を与えます。

史実そんな中、強風に耐えて枝に残ったりんごが、「落ちないりんご」として受験生の合格祈願のお守りになり、高い値段でも売れて話題になりました。災いを逆手にとった、青森の人々の粘り強さを物語るエピソードです。

ここを見る:弘前市りんご公園

弘前市のりんご公園では、さまざまな品種のりんごの木が育てられていて、品種ごとの実の違いを見比べられます。季節によっては、りんごもぎの体験もできます。岩木山を背にしたりんご畑は、津軽の典型的な風景です。

りんご畑と岩木山
りんご畑弘前市
赤く実ったりんご
りんご青森県

主な参考資料:青森県「りんごの歴史」/青森県りんご協会/農研機構 果樹茶業研究部門「ふじ」/弘前市りんご公園

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