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10 — HIROSAKI

弘前 ― 城と桜と洋館

津軽氏の城下町・弘前は、青森県のもう一つの中心です。江戸時代から残る天守、日本一とも称される桜、明治の棟梁が建てた洋館、そしてモダニズム建築。天守が石垣ごと引っ越し、桜を守るためにりんごの技術が使われる、驚きの町を歩きます。

ラベルの意味:史実記録で裏づけ 有力説多くの研究・資料が支持 伝承言い伝え 都市伝説噂・地元の語りぐさ

東北で唯一の、江戸時代の天守

史実弘前城は、津軽為信が計画し、2代信枚が1611年に完成させた城です(津軽と南部の部屋)。はじめは5層の天守がありましたが、1627年に落雷で焼失しました。

史実今の3層の天守は、1810年、本丸の隅の櫓を建て替えるという名目で築かれたものです。江戸時代から残る「現存12天守」の一つで、東北地方では唯一です。城の門や櫓も多く残り、国の重要文化財に指定されています。

天守が動いた

史実天守の下の石垣がふくらみ、崩れるおそれが出てきたため、2015年、石垣を積み直す大工事が始まりました。その前に、重さ約400トンの天守を、建てたまま持ち上げてレールの上で動かす「曳屋(ひきや)」が行われ、天守は約70メートル離れた本丸の内側へ移されました。

史実石垣の修理が進み、天守を元の位置に戻す「曳き戻し」の準備が進められています。天守の内部の公開は、2025年11月から休止されています。見学の予定は、弘前市の公式情報で確認してください。

1810現在の天守が築かれた年
約70m2015年に天守が動いた距離
約2,600本弘前公園の桜の本数

桜を、りんごの技術で守る

史実弘前公園には約2,600本の桜があり、春には多くの花見客が訪れます。園内には、1882年に植えられた、現存する日本最古のソメイヨシノとされる木も残っています。

史実「桜切るバカ、梅切らぬバカ」ということわざがあるように、桜の枝は切らないものとされてきました。しかし弘前では、戦後、弱ってきた桜を救うために、りんごの剪定の技術を応用して枝を切り、肥料を与える手入れを始めました(りんごの部屋)。こうして、一つの枝にたくさんの花をつける、長生きの桜が育ったのです。この手入れの方法は「弘前方式」と呼ばれ、全国の桜の管理の手本になっています。

ここを見る:花筏

散りはじめのころ、外濠の水面は、散った花びらでピンク色に埋めつくされます。これが「花筏(はないかだ)」です。満開の桜よりこちらを楽しみにする人も多い、弘前ならではの景色です。

明治の洋館と、前川國男

史実弘前には、明治から大正にかけて建てられた洋館が多く残っています。地元の大工の棟梁堀江佐吉は、西洋の建築を見て学び、1904年の旧第五十九銀行本店(今の青森銀行記念館、国の重要文化財)や、旧弘前市立図書館などを建てました。

史実近代建築の巨匠・前川國男は、母の実家が弘前にあった縁で、この町に多くの建物を残しました。1932年の木村産業研究所は、前川がフランスでル・コルビュジエのもとで学んで帰国後、最初に手がけた作品です。弘前市役所や弘前市民会館など、弘前は「前川建築の町」とも呼ばれます。

弘前城天守と桜
弘前城弘前市下白銀町
弘前公園の花筏
花筏弘前公園 外濠

主な参考資料:弘前市「弘前城本丸石垣修理事業」/弘前市みどりの協会「弘前公園の桜」/青森銀行記念館/弘前市「前川國男の建築」

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