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13 — TOWADA

十和田と奥入瀬

青森県の南部、十和田市の中心街は、きれいな碁盤の目になっています。ここはもともと、水のない荒れ野でした。この地に川を引き、町をつくったのは、あの新渡戸稲造の祖父です。火山がつくった湖と渓流、そして現代美術の町となった十和田の物語です。

ラベルの意味:史実記録で裏づけ 有力説多くの研究・資料が支持 伝承言い伝え 都市伝説噂・地元の語りぐさ

荒れ野に水を ― 新渡戸傳

史実十和田市のあたりは、かつて三本木原と呼ばれる広い台地でした。川は台地の下を流れていて水を引けず、火山灰の土地は作物が育たない荒れ野でした。

史実盛岡藩士の新渡戸傳(にとべ つとう)は、この台地を開くため、1855年から、奥入瀬川の水を引く用水路の工事を始めます。山を貫くトンネルを掘り、1859年、ついに三本木原に水が流れました。この用水は、のちに稲生川(いなおいがわ)と名づけられます。

史実開拓は、傳の子・十次郎、孫の七郎へと引き継がれ、京都の町をお手本にした碁盤の目の町割りがつくられました。十次郎の三男が、『武士道』を書き、5千円札の肖像にもなった新渡戸稲造です。稲造の「稲」の字は、この開拓で初めて米がとれたことにちなむといわれます。

1859三本木原に稲生川の水が届く
約14km奥入瀬渓流の長さ
1903十和田湖でヒメマスの養殖が成功

官庁街通りと現代美術館

史実明治以降、十和田には陸軍の軍馬を育てる施設が置かれ、馬の町としても栄えました。その跡地を通る官庁街通りは、松と桜の並木が続く美しい道で、「日本の道100選」に選ばれています。

史実2008年、この通りに十和田市現代美術館が開館しました。建物は、ガラス張りの白い箱をいくつも散らばせたような設計で、通りそのものを美術館に見立てた「アーツ・トワダ」の計画の中心です。通り沿いには、大きな作品が屋外に並んでいます。

火山がつくった湖

史実十和田湖は、火山の噴火でできた二重のカルデラ湖です。平安時代の915年ごろの噴火は、日本で過去2000年間に起きた噴火の中でも最大級とされ、火山灰は東北地方の広い範囲に降り積もりました。

史実十和田湖には、もともと魚がすんでいませんでした。和井内貞行は20年以上にわたって養魚に挑み、失敗を重ねた末、1903年、北海道の支笏湖から運んだヒメマスの放流に成功します。今もヒメマスは、十和田湖の名物です。

史実湖の東の子ノ口(ねのくち)から流れ出す奥入瀬渓流は、約14キロにわたって、苔むした岩と大小の滝の間を清流が流れる渓谷です。湖のほとりには、1953年に彫刻家で詩人の高村光太郎がつくった「乙女の像」が立っています。

ここを見る:稲生川の流れ

十和田の市街地を歩くと、今も稲生川の流れに出会います。台地の上を流れるこの川は、自然の川ではなく、人の手でつくられた用水です。碁盤の目の町並みと合わせて見ると、荒れ野に一から町をつくった開拓の跡がよく分かります。

奥入瀬渓流
奥入瀬渓流十和田市奥瀬
十和田湖と乙女の像
乙女の像十和田湖畔 休屋

主な参考資料:十和田市「新渡戸三代と稲生川」/十和田市現代美術館/十和田湖国立公園協会/気象庁「十和田」

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