青森ねぶた祭
青森ねぶた祭

AOMORI

縄文と雪と
海峡の国。

5,000年前、この湾のほとりには縄文の大きなむらがありました。江戸時代に善知鳥(うとう)という村に港が開かれて「青森」と名づけられ、やがて北海道へ渡る人と物の玄関口になります。 雪の八甲田の悲劇、海峡を渡った連絡船、夏を燃やすねぶた、3本の苗木から始まったりんご。観光ガイドには載らない青森の「なぜ」を、史実と伝承の境目を示しながらたどります。

FOUR KEYS

青森を読み解く、四つの鍵

この土地の出来事は、ほとんどがこの四つのどれかにつながっています。

KEY 01

縄文の国

青森には、1万5千年前の土器のかけらから、5,000年前の大集落、雪めがねのような目の土偶まで、縄文時代の遺跡が数多く残ります。2021年、そのうち8か所が世界遺産になりました。

KEY 02

津軽と南部

県の西側の「津軽」と東側の「南部」は、江戸時代には別々の藩で、長く対立していました。言葉も祭りも気質も違う二つの地域が、明治に一つの県になったのです。

KEY 03

海峡の玄関口

本州の北の端にある青森は、北海道へ渡る人と物の玄関口でした。連絡船が80年間海峡を行き来し、今は海の下のトンネルを新幹線が走っています。

KEY 04

雪と生きる

青森市は、人口が多い都市としては世界有数の豪雪地です。厳しい冬は、雪中行軍の悲劇を生む一方で、こぎん刺しや津軽塗、短くて温かい言葉など、独自の文化も育てました。

WHY HERE?

なぜ、この湾の奥だったのか

青森市は、津軽半島と下北半島に抱かれた陸奥湾のいちばん奥にあります。湾の入口は狭く、外の海が荒れても湾の中は比較的穏やか。そして津軽海峡の向こうには北海道があります。

縄文の人々は、この湾の恵みと森の実りに支えられて大きなむらをつくりました。江戸時代には弘前藩がここに港を開き、明治には県庁が置かれ、鉄道と連絡船で本州と北海道を結ぶ海峡の玄関口になっていきます。

港町・青森の誕生へ →

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BUTTERFLY EFFECT

小さな出来事が、今の青森をつくった

一つの出来事が思わぬところへ波及していく。青森には、そんな「バタフライエフェクト」がいくつもあります。

1954洞爺丸の沈没台風で青函連絡船5隻が沈み、1,400人以上が亡くなる。
決断海の下を通す「海峡の下にトンネルを」という計画が一気に進む。
1988青函トンネル開業40年あまりの難工事の末、本州と北海道が陸続きになる。
同じ日連絡船の終わり80年続いた青函連絡船が役目を終えた。
18753本の苗木国から配られた西洋りんごの苗木が、県庁の敷地に植えられる。
明治士族たちの挑戦職を失った元武士たちが、りんご栽培に活路を見いだす。
1962「ふじ」誕生藤崎町の試験場で育てられた品種が「ふじ」と名づけられる。
いま日本一のりんご県青森県は国内のりんごの約6割を生産している。
明治魚のいない湖十和田湖には、もともと魚がほとんどすんでいなかった。
1903ヒメマスの成功和井内貞行が長年の失敗の末、ヒメマスの放流を成功させる。
名物に湖の恵みヒメマスは十和田湖の名物となり、湖畔の暮らしを支えた。
いま十和田湖のヒメマス今も湖畔の食堂で、塩焼きなどが味わえる。

20 ROOMS

20の部屋から、青森へ

気になるところから読めます。上から順に読むと、縄文のむらから、津軽と南部の対立、海峡の玄関口、ねぶたとりんごの国になるまでが、一本の物語としてつながります。

起源

三内丸山遺跡

5,000年前、ここに縄文の大きなむらがあった。

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縄文

縄文遺跡群と遮光器土偶

宇宙人ではない。雪めがねのような目の土偶。

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津軽と南部

津軽と南部

同じ県なのに、言葉も祭りも気質も違う。

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港

港町・青森の誕生

善知鳥村から、県庁所在地へ。

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慰霊

八甲田雪中行軍

210人中199人。雪の八甲田で何が起きたのか。

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連絡船

青函連絡船

80年間、本州と北海道をつないだ船。

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トンネル

青函トンネルと竜飛岬

海の下を53.85キロ。完成まで42年。

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祭り

ねぶた・ねぷた・立佞武多

青森は「ねぶた」、弘前は「ねぷた」。

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りんご

りんごの青森

3本の苗木から、日本一のりんご王国へ。

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食

ホタテ・大間マグロ・せんべい汁

せんべいを、鍋に入れて煮る。

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弘前

弘前 ― 城と桜と洋館

天守が動いた。桜が咲きすぎる城。

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八戸

八戸 ― 南部の港町

日曜の朝、岸壁に300の店が並ぶ。

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下北

下北と恐山

死者に会える山と、会津から来た人々。

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十和田

十和田と奥入瀬

荒れ野に水を引き、町をつくった一族。

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芸術

棟方志功・太宰治・寺山修司

「わだばゴッホになる」と言った青年。

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工芸

津軽塗・こぎん刺し

木綿を着られなかった農民の、針と糸の工夫。

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言葉

津軽弁と南部弁

「どさ」「ゆさ」。世界一短い会話?

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伝説

伝説と都市伝説

キリストの墓が、青森の山村にある?

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巡る

歩いて読む青森

縄文のむらから、ねぶたの家まで。

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書籍

関連書籍

『津軽』から『八甲田山死の彷徨』まで。

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LOCAL COMMON SENSE

青森の人には「常識」

外から来るとちょっと驚く、けれど地元ではあたりまえのこと。

  • 「青森」と「津軽」と「南部」「青森の人」と一口に言っても、西の津軽と東の南部では言葉も気質もまるで違います。どちらの出身かは、地元の人にとって大事な話題です。
  • ねぶたの季節は仕事にならない8月の初め、青森市ではねぶた祭の準備と本番で街全体が浮き足立ちます。跳人(はねと)の衣装を持っている人も珍しくありません。
  • りんごは箱で買うりんごは「個」ではなく「箱」で買うもの。親戚や知人から段ボールでもらうことも多く、傷があるものは「わけあり」として安く出回ります。
  • 冬は「雪かき」が日課青森市は、人口の多い都市としては世界でも有数の豪雪地です。朝の雪かきは、冬の暮らしの一部になっています。
  • 銭湯と温泉が近い青森県は温泉の数が多く、朝から開いている銭湯や温泉も珍しくありません。「朝風呂」は多くの人の習慣です。
  • 「どさ」「ゆさ」「どこへ行くの?」「お風呂へ」という会話を、津軽弁ではこの二言で済ませることができます(言葉の部屋)。

TIMELINE

年表でたどる青森

約1万5千年前

最古級の土器

外ヶ浜町の大平山元遺跡で、日本最古級の土器のかけらが見つかっています。

約5,900年前

三内丸山のむら

このころから約1,700年、三内丸山に大きな集落が営まれます。

1590

津軽為信の独立

南部氏から独立した為信が、豊臣秀吉に領地を認められます。

1611

弘前城の完成

2代藩主・津軽信枚のもとで、弘前の城と城下町が整えられます。

1624

青森の港が開かれる

弘前藩が善知鳥村に港を開き、「青森」と名づけたとされます。

1871

青森県の誕生

廃藩置県ののち、弘前から青森へ県庁が移されます。

1875

りんごの苗木

国から配られた3本の苗木が、県庁の敷地に植えられます。

1902

八甲田雪中行軍

青森の歩兵第5連隊の210人中199人が、雪の八甲田で亡くなります。

1908

青函連絡船の就航

青森と函館を結ぶ国の連絡船が走り始めます。

1945

青森大空襲

7月28日の空襲で、青森市の市街地の大半が焼けました。

1988

青函トンネル開業

3月13日、トンネルが開業し、同じ日に青函連絡船が役目を終えます。

2010

東北新幹線が新青森へ

東京と青森が新幹線で結ばれます。2016年には北海道新幹線も開業しました。

2021

縄文遺跡群が世界遺産に

「北海道・北東北の縄文遺跡群」が登録され、県内の8遺跡が含まれました。

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