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中洲と屋台
日が暮れると、那珂川沿いの歩道に赤い暖簾の屋台が並び始めます。肩を寄せ合って座る客、湯気を上げるラーメンの鍋、隣の客との会話。日本の多くの都市から消えた屋台が、福岡では条例で守られ、今も町の夜の顔になっています。
ラベルの意味:史実記録で裏づけ 有力説多くの研究・資料が支持 伝承言い伝え 都市伝説噂・地元の語りぐさ
川の中の町・中洲
史実中洲は、那珂川と博多川に挟まれた南北約1.5kmの細長い島です。江戸時代、黒田長政が福岡城と博多を結ぶために橋をかけたことで、ふたつの町をつなぐ場所になりました(博多と福岡の部屋)。
史実明治以降、中洲には劇場や映画館、料亭が集まり、戦後は飲食店が建ち並ぶ九州最大の歓楽街になりました。東京の歌舞伎町、札幌のすすきのと並んで「日本三大歓楽街」と呼ばれることもあります。
闇市から生まれた屋台
有力説福岡の屋台の多くは、戦後の焼け跡にできた闇市から始まったとされます。引揚げ港となった博多には海外から多くの人が戻り、仕事を失った人々が、元手の少ない屋台で生計を立てました(引揚げの部屋)。
史実屋台は道路や公園の一部を使って営業するため、全国の都市では戦後、衛生や交通の面から規制が強まり、次々に姿を消しました。福岡でも営業許可を本人一代限りとする方針がとられ、屋台の数は減り続けました。
史実このままでは屋台がなくなってしまうという声を受けて、福岡市は屋台を「まちのにぎわい」として残す方針に転じ、2013年に全国で初めて屋台の営業ルールを定めた「福岡市屋台基本条例」を施行しました。2016年からは新しい営業者を公募で選ぶ仕組みが始まり、若い店主や外国料理の屋台も加わっています。


屋台のルール
史実条例では、屋台の大きさ(幅3m×奥行2.5m以内など)、営業時間、組み立てと片付けの方法などが細かく決められています。屋台は毎日、夕方に組み立て、深夜の営業が終わると解体して運び去ります。営業場所は道路や公園の使用許可を受けた場所に限られます。営業場所には屋台用の電気・水道・下水道の設備が整えられ、店主は使用料を払って使います。汚水を道路や公園に流すことは禁じられています。
史実屋台のメニューは、ラーメン、おでん、焼き鳥、もつ焼きのほか、天ぷら、餃子、フレンチ風の一品まで店によってさまざまです。屋台発祥とされる料理には、焼きラーメンなどがあります(ラーメンの部屋)。
ここを見る:屋台の楽しみ方
屋台は8〜10席ほどの小さな店です。混んでいるときは長居をせず、一軒で一品か二品を楽しんで次の店へ「はしご」するのが地元流とされます。席が空くのを待つときは、店主に声をかけてから並びましょう。トイレは、店主が案内する近くのトイレを使いましょう。営業日や営業時間は天候によって変わることもあります。
主な参考資料:福岡市「屋台について」・福岡市屋台基本条例/福岡市「屋台公募」資料/中洲町連合会資料/福岡市史