トップ / 承天寺と聖福寺

承天寺と聖福寺

博多駅から歩いて10分ほどの寺町に、「饂飩蕎麦発祥之地」と刻まれた石碑があります。日本のうどんとそばは、ここから始まったというのです。中国で学んだ禅僧たちが持ち帰ったのは、教えだけではありませんでした。

ラベルの意味:史実記録で裏づけ 有力説多くの研究・資料が支持 伝承言い伝え 都市伝説噂・地元の語りぐさ

日本最初の禅寺・聖福寺

史実臨済宗を日本に伝えた栄西は、二度目の宋への留学から帰国したのち、1195年に博多に聖福寺を開きました。寺の山門に掲げられた「扶桑最初禅窟」(日本で最初の禅の道場)の額は、後鳥羽上皇の筆と伝えられます。

史実栄西は宋から茶を飲む習慣を持ち帰り、のちに『喫茶養生記』を著して、茶の効能を説きました。日本で抹茶を飲む習慣が広がるきっかけのひとつとされます。

伝承栄西が宋から持ち帰った茶の種を、福岡と佐賀の県境にある背振山に植えたのが、日本での茶の栽培の始まりだと伝えられています。

1195年栄西が聖福寺を開く
1242年聖一国師(円爾)が承天寺を開く
1241年山笠の起源とされる施餓鬼の年(伝承)

承天寺と聖一国師

史実駿河国(静岡県)出身の禅僧円爾(えんに)は、宋で6年間学び、1241年に博多へ帰ってきました。宋の商人・謝国明らの支援を受け、1242年に開かれたのが承天寺です。円爾はのちに京都の東福寺の開山となり、死後に「聖一国師」の名を贈られました。

史実承天寺の境内には「饂飩蕎麦発祥之地」の碑と、「御饅頭所」と書かれた碑が建っています。円爾が宋から製粉の技術を持ち帰ったことが、粉を練って作るうどん・そば・饅頭が日本に広まるきっかけになった、とされることにちなむものです。円爾が持ち帰ったとされる、水車で粉をひく装置の図「水磨の図」は東福寺に伝わっています。

有力説ただし、麺類の起源には諸説あり、うどんやそばが円爾ひとりの功績で始まったと言い切ることはできません。それでも、宋で学んだ禅僧たちが粉食の文化を伝える役割を果たしたことは、多くの研究者が認めています(ラーメンの部屋)。

承天寺
承天寺福岡市博多区博多駅前
聖福寺
聖福寺福岡市博多区御供所町

水をまいて疫病をはらう――山笠のはじまり

伝承1241年、博多で疫病がはやったとき、円爾は町の人にかつがせた施餓鬼棚(せがきだな)に乗り、祈祷水(甘露水)をまきながら町を清めて回った――これが博多祇園山笠の始まりだと伝えられています。今も山笠の舁き手(かきて)が「勢い水」を浴びながら走るのは、この伝承につながるとされます(山笠の部屋)。

史実山笠の舁き山は、必ず承天寺に立ち寄る習わしがあり、7月15日早朝の追い山のコースも承天寺の前を通ります。博多の人々にとって、承天寺は山笠と切り離せない寺です。

伝承円爾とともに宋に渡った博多の満田弥三右衛門が、織物の技術を持ち帰ったのが博多織の始まりと伝わります。承天寺には「博多織発祥之地」の碑も建っています(博多織の部屋)。

ここを見る:承天寺の石庭「洗濤庭」

承天寺の方丈の前には、白い砂と苔で博多湾と玄界灘を表したとされる石庭「洗濤庭(せんとうてい)」があります。小石を敷いた波の模様は、海を越えて禅を学びに行った僧たちの道のりを思わせます。境内は撮影が制限されている場所もあるので、案内に従って見学しましょう。

主な参考資料:聖福寺公式情報/承天寺案内資料/福岡市「御供所町の寺社」解説/国指定文化財等データベース「聖福寺境内」/博多祇園山笠振興会資料

広告