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もつ鍋・水炊き・明太子

博多のお土産の定番・辛子明太子。その生みの親は、韓国・釜山で生まれ育った一人の男でした。彼は製法の特許を取らず、作り方を惜しげもなく教えたため、明太子は博多中に広まりました。博多の名物料理には、海の向こうとつながる話がいくつもあります。

ラベルの意味:史実記録で裏づけ 有力説多くの研究・資料が支持 伝承言い伝え 都市伝説噂・地元の語りぐさ

明太子と川原俊夫

史実辛子明太子の生みの親とされるのが川原俊夫(1913〜1980年)です。日本統治下の釜山で生まれ育った川原は、現地で食べていたスケトウダラの卵の唐辛子漬け(朝鮮の「明卵漬(ミョンナンジョッ)」)の味が忘れられませんでした。

史実戦後、博多に引き揚げた川原は、中洲市場で食料品店「ふくや」を開き、1949年に日本人の口に合うよう工夫した辛子明太子を売り出しました。「明太(めんたい)」は、スケトウダラを指す朝鮮語の「ミョンテ」に由来する言葉です。

史実川原は製法の特許も商標も取らず、作り方を知りたいという人に教えました。そのため多くの店が明太子を作るようになり、1975年に山陽新幹線が博多まで延びると、博多のお土産として全国に知られるようになりました。

1949年ふくやが辛子明太子を売り出す
1975年山陽新幹線が博多駅まで開業
明治末期博多で水炊きの店が生まれる

水炊き――白いスープの鍋

有力説博多の水炊きは、骨付きの鶏を水から長時間炊いた白く濁ったスープで、鶏肉や野菜を煮て、ポン酢で食べる鍋料理です。明治時代の終わりに、長崎出身で、香港で西洋料理と中国料理を学んだ林田平三郎が、西洋のコンソメと中国の鶏の水炊きを組み合わせた鍋を考え、1905年に博多で「水月」を開いたのが始まりとされます。

史実水炊きの店では、最初にスープだけを湯呑みに入れて味わい、塩を少し入れて飲むのが定番の食べ方です。最後はご飯を入れて雑炊にします。

もつ鍋――戦後の鍋

有力説もつ鍋は、牛の小腸などのもつを、ニラやキャベツと一緒に醤油味やみそ味のスープで煮る鍋です。戦後、炭鉱で働く人々や朝鮮半島から来た人々が、安く手に入るもつを鍋にして食べたのが始まりと言われ、福岡で庶民の味として広まりました。

史実1992年ごろには東京で「もつ鍋ブーム」が起き、その年の新語・流行語大賞で「もつ鍋」が銅賞に選ばれました。ブームが去ったあとも、福岡ではもつ鍋は冬の定番として食べ続けられています。

辛子明太子
辛子明太子福岡市
もつ鍋
もつ鍋福岡市

ごまさば、がめ煮、博多うどん

史実玄界灘でとれる新鮮なサバの刺身を、ごま醤油であえた「ごまさば」は、福岡の居酒屋の定番です。鶏肉と根菜を炒めてから煮る「がめ煮」は、ほかの地域では筑前煮と呼ばれる料理で、正月やお祝いの席に欠かせません。

史実博多のうどんは、やわらかい麺にあごだし(トビウオのだし)や昆布だしの澄んだつゆが特徴で、丸天(魚のすり身の揚げ物)やごぼう天をのせるのが定番です。承天寺には、博多がうどん・そば発祥の地であるとする碑が建っています(承天寺の部屋)。

ここを見る:柳橋連合市場

天神と博多の間、那珂川に近い柳橋連合市場は「博多の台所」と呼ばれる市場です。大正時代に始まったとされ、鮮魚店や明太子、かまぼこの店が狭い通りに並びます。朝の市場で、地元の人に混じって買い物や食事を楽しめます。

主な参考資料:株式会社ふくや「明太子の歴史」公開情報/水たき各老舗の公開情報/福岡市・福岡県の食文化資料/農林水産省「うちの郷土料理」(福岡県)

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