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博多・福岡の伝説と都市伝説

2000年にわたって大陸との玄関だった博多には、海を越えてきたものへの畏れと好奇心が、たくさんの言い伝えになって残っています。古い伝説から、インターネットで広まった現代の噂まで。どこまでが史実で、どこからが語りぐさなのかを、ラベルで区別しながらたどります。

ラベルの意味:史実記録で裏づけ 有力説多くの研究・資料が支持 伝承言い伝え 都市伝説噂・地元の語りぐさ

「むくりこくり」が来る

伝承九州北部では、かつて子どもが泣きやまないとき「むくりこくりが来るぞ」と言って脅した、と伝えられます。「むくり」は蒙古(モンゴル)、「こくり」は高句麗(高麗)のことで、元寇のときに攻めてきた元と高麗の軍勢への恐怖が、700年以上にわたって子どもを叱る言葉として残ったと考えられています(元寇の部屋)。

「天神」の名は、道真の水鏡から

伝承901年、大宰府へ向かう途中に博多へ着いた菅原道真は、川の水面に自分のやつれた姿を映して嘆いた、と伝えられます。その場所に祀られたのが「水鏡天神」で、のちに黒田長政が福岡城の鬼門の守りとして今の場所に移しました。

史実この水鏡天満宮が、福岡いちばんの繁華街「天神」の地名の由来です。デパートやビルに囲まれた小さな神社の鳥居の額は、元首相・広田弘毅(福岡出身)が少年時代に書いたものとされます(太宰府天満宮の部屋)。

1784年金印が発見された年。以来、真贋論争が続く
7月1〜15日山笠の期間。きゅうりを断つとされる期間
1975年新犬鳴トンネル開通。旧道は使われなくなる

金印は偽物か

伝承「志賀島の金印は、江戸時代に作られた偽物だ」という説は、これまで研究者の間でも何度か唱えられてきました。発見の経緯を記した文書があいまいなこと、発見された場所がはっきりしないこと、鑑定した学者・亀井南冥が藩校の名声を高めたい立場にあったことなどが理由に挙げられます。

有力説一方、印の大きさが後漢時代の1寸(約2.3cm)にぴったり合うこと、金の成分や彫り方の分析、中国で見つかった同時代の印との比較などから、本物とみる研究者が多数を占めています(金印の部屋)。

山笠の間は、きゅうりを食べない

伝承博多の山笠に関わる人々は、7月1日から15日まで、きゅうりを口にしないと言われます。きゅうりを輪切りにした切り口が、櫛田神社の祇園宮の神紋(木瓜紋)に似ているため、神紋を食べるのは恐れ多い、という理由です。今も、山笠の期間中は家庭でも飲食店でも、きゅうりを出さないよう気をつける人がいます(山笠の部屋)。

水鏡天満宮
水鏡天満宮福岡市中央区天神
博多湾
博多湾福岡市

犬鳴峠の都市伝説

都市伝説福岡市の東、久山町と宮若市の境にある犬鳴峠には、「旧トンネルの先に地図から消された村がある」「村の入り口に『この先、日本国憲法通用せず』という看板がある」といった噂があります。1990年代からテレビや雑誌、インターネットで広まり、映画の題材にもなりました。

史実実際には、旧犬鳴トンネルは1975年に新しいトンネルが開通してから使われなくなり、入り口はコンクリートブロックなどで封鎖されています。「消された村」とされる犬鳴の集落は、ダム(犬鳴ダム)の建設に伴って住民が移転したもので、噂のような村は確認されていません。旧道への立ち入りは危険で、地元の人の迷惑にもなるため、興味本位で訪れるのはやめましょう。

ここを見る:飛梅と黒田如水の「左手」

伝説は、本物の場所や物と結びついているとき、いちばん面白くなります。太宰府天満宮の本殿前の飛梅(太宰府天満宮の部屋)、母里太兵衛が呑み取った名槍「日本号」と黒田如水の「左手」の逸話(黒田家の部屋)、天守があったかどうかがわからない福岡城の天守台(福岡城の部屋)。現地で実物を前にして、話の真偽を考えてみてください。

主な参考資料:水鏡天満宮由緒/福岡市博物館「金印」解説/博多祇園山笠振興会資料/福岡県・久山町・宮若市の道路・地域情報/各種民俗資料

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