トップ / 櫛田神社と博多祇園山笠

櫛田神社と博多祇園山笠

7月15日、午前4時59分。夜明け前の博多の町に太鼓が鳴り、締め込み姿の男たちが重さ約1トンの山笠を担いで走り出します。沿道からかけられる「勢い水」、響く「オッショイ」の掛け声。博多の夏は、この15日間のためにあると言っても大げさではありません。

ラベルの意味:史実記録で裏づけ 有力説多くの研究・資料が支持 伝承言い伝え 都市伝説噂・地元の語りぐさ

博多の総鎮守・櫛田神社

史実櫛田神社は、博多の総鎮守として「お櫛田さん」と親しまれている神社です。大幡主命(櫛田宮)、天照皇大神(大神宮)、素盞嗚命(祇園宮)の三柱を祀ります。創建は757年と伝えられます。

史実博多祇園山笠は、櫛田神社の祇園宮に奉納される行事で、毎年7月1日から15日まで行われます。1979年に国の重要無形民俗文化財に指定され、2016年には、全国33件の祭りをまとめた「山・鉾・屋台行事」のひとつとして、ユネスコ無形文化遺産に登録されました。

約1トン追い山で担いで走る「舁き山笠」の重さ
約5km追い山のコースの長さ
4時59分7月15日、追い山の一番山笠がスタートする時刻

はじまりは疫病払い

伝承1241年、博多で疫病がはやったとき、承天寺を開いた聖一国師が施餓鬼棚に乗って祈祷水をまき、町を清めたのが山笠の起源と伝えられます(承天寺の部屋)。

史実山笠を担うのは、博多の町の単位である「流(ながれ)」です。流は豊臣秀吉の太閤町割り(1587年)でできた町のまとまりに由来し、今は大黒流・東流・中洲流・西流・千代流・恵比須流・土居流の7つの流が舁き山笠を出します(国際都市・博多の部屋)。これに上川端通の走る飾り山笠が「八番山笠」として加わります。

史実江戸時代の山笠は高さ10mを超える巨大なものでしたが、明治時代に町に電線が張られると、高い山笠は通れなくなりました。そこで、担いで走る低い「舁き山」と、見せるための高い「飾り山」に分かれたとされます。飾り山は7月1日から市内各所に立ち、歌舞伎や時代物、人気アニメなどを題材にした人形で飾られます。

追い山
追い山福岡市博多区
上川端商店街の飾り山
上川端商店街の飾り山福岡市博多区上川端町

15日間の流れ

史実7月1日に飾り山の公開が始まり、9日に箱崎浜で身を清める「お汐井とり」、10日に各流の舁き山が町内を回る「流舁き」、11日には朝山と他流舁き、12日に「追い山ならし」、13日に「集団山見せ」と続き、15日早朝の「追い山」で最高潮を迎えます。

史実追い山では、一番山笠から順に5分おきにスタートし、櫛田神社の境内に駆け込んで清道旗を回る「櫛田入り」の後、約5kmのコースを走ってタイムを競います。走り終えた山笠は、その日のうちに解体されます。15日間かけて作り上げたものを、終わればすぐに壊す。その潔さも博多っ子の誇りです。

伝承

「山笠の間はきゅうりを食べない」

きゅうりの切り口が櫛田神社の祇園宮の神紋に似ているため、山笠の期間中、舁き手やその家族はきゅうりを口にしないと言われます(伝説の部屋)。

史実

舁き手は締め込みと水法被

舁き手は、締め込み(ふんどし)に流ごとの柄の水法被を着て、手拭いを締めます。役職によって手拭いの色や柄が決まっていて、見る人が見れば立場がわかります。

ここを見る:櫛田神社の常設の飾り山

櫛田神社の境内には、山笠の期間以外でも一年中、飾り山が展示されています。高さ10m前後の山笠を間近に見上げると、人形の細かさと迫力に驚きます。境内には、博多の町の歴史を伝える「博多歴史館」や、樹齢千年以上とされる大イチョウもあります。

主な参考資料:櫛田神社公式情報/博多祇園山笠振興会公式サイト/福岡市「博多祇園山笠」解説/文化庁「山・鉾・屋台行事」(ユネスコ無形文化遺産)

広告