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博多織と博多人形
締めると「キュッ」と鳴り、一度締めたらゆるまない。博多織の帯は、江戸時代から武士や町人に愛されてきました。その模様には、仏教の道具が隠れています。同じ博多で、土をこねて焼き、絵の具で彩る人形づくりも、町の職人の手で受け継がれてきました。
ラベルの意味:史実記録で裏づけ 有力説多くの研究・資料が支持 伝承言い伝え 都市伝説噂・地元の語りぐさ
博多織――宋から来た織物
伝承博多織の始まりは、1235年、のちに承天寺を開く円爾(聖一国師)とともに宋へ渡った博多の商人・満田弥三右衛門が、織物の技法を学んで持ち帰ったことにあると伝えられています。弥三右衛門は、その技法を家伝として受け継いだとされます(承天寺の部屋)。
史実博多織は、細い経糸(たていと)をたくさん使い、太い緯糸(よこいと)を強く打ち込んで織るのが特徴です。生地が厚く張りがあり、帯として締めると絹鳴りがして、一度締めるとゆるみにくいことから、刀を差す武士の帯として重宝されました。
「献上博多」と仏具の柄
史実江戸時代、福岡藩主の黒田家は、博多織を毎年幕府に献上しました。献上に使われた柄は「献上柄」と呼ばれ、今も博多織の代名詞になっています。
史実献上柄は、仏具の独鈷(とっこ)と華皿(はなざら)を図案化したもので、これに縞を組み合わせます。仏具の模様が帯になった背景には、禅寺とともに宋の文化が入ってきた博多の歴史があるとされます。色によって「五色献上」などの呼び名もあり、五色は中国の五行思想や儒教の徳目(仁・礼・信・智など)にちなむとされます。


博多人形――素焼きに彩色
伝承博多人形の起源には諸説あり、1600年に黒田長政が福岡城を築いた際に集められた瓦職人に始まる、という話も伝わります。
有力説直接の起源は、江戸時代後期に中ノ子吉兵衛らが作った素焼きの人形とされ、1821年ごろには同業者も増えていきました。
史実博多人形は、粘土で原型を作り、型をとって形を整え、素焼きにしたあと、胡粉や岩絵の具で彩色して仕上げます。焼き物でありながら釉薬をかけず、絵の具の柔らかな色合いと、人の肌の質感を思わせる表情が特徴です。
有力説明治以降、小島与一らの名工が写実的な作風を確立し、博多人形は万国博覧会などで海外にも紹介されて評価を高めたとされます。美人物、歌舞伎物、能物、童物、山笠の人形など、題材はさまざまです。
ここを見る:はかた伝統工芸館
承天寺通り沿い(博多区博多駅前1丁目)にある「はかた伝統工芸館」では、博多織や博多人形をはじめ、博多の伝統工芸品を展示・販売しています。工房によっては、絵付けや機織りの体験ができるところもあります(承天寺の部屋)。
主な参考資料:博多織工業組合公式情報/博多人形商工業協同組合公式情報/経済産業省「伝統的工芸品」指定一覧/福岡市博物館資料