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糸島と伊都国

福岡市の西隣、海と山に囲まれた糸島は、今ではカフェや海辺のドライブで人気の土地です。けれど1800年前、ここは中国の歴史書に「代々王がいる」と書かれた国でした。日本で見つかった中で最も大きな銅鏡も、この土地の王の墓から出てきました。

ラベルの意味:史実記録で裏づけ 有力説多くの研究・資料が支持 伝承言い伝え 都市伝説噂・地元の語りぐさ

魏志倭人伝の「伊都国」

史実3世紀の中国の歴史書『三国志』の中の魏書東夷伝倭人条、いわゆる「魏志倭人伝」は、朝鮮半島から海を渡って倭(日本)に至る道のりを、対馬国、一大国(壱岐)、末盧国(唐津付近)、伊都国、奴国……と順に記しています。

史実伊都国について倭人伝は、千余戸があり、「世々王有り」(代々王がいる)と書き、さらに女王国に属していること、郡(帯方郡)の使いが往来するときに常にとどまる所であることを記しています。また、諸国を監視する「一大率」という役人を伊都国に置いていたとも書いています。

有力説伊都国は、今の糸島市の前原から三雲・井原のあたりにあったとする説が有力です。大陸からの使いを迎える外交の窓口であり、北部九州の国々をにらむ役所のある国だったと考えられています。

46.5cm平原遺跡出土の大型内行花文鏡の直径。日本最大の銅鏡
40面平原1号墓から出た銅鏡の数(破片から復元)
2006年平原方形周溝墓出土品が国宝に指定

平原遺跡と、日本最大の鏡

史実1965年、糸島の平原(ひらばる)で、ミカン畑の開墾中に偶然、大量の銅鏡の破片が見つかりました。調査を指揮したのは地元の考古学者・原田大六です。墓からは割られた状態の銅鏡が40面分見つかり、その中には直径46.5cmもある巨大な内行花文鏡が含まれていました。日本で出土した銅鏡として最大です。

有力説副葬品に武器が少なく、耳飾りなどの装身具があることから、葬られたのは女性の王、あるいは祭祀をつかさどる女性だったとみる説があります。原田大六は、この大鏡と伊勢神宮の御神体「八咫鏡」の関係にも言及しましたが、これはあくまで一つの説です。

史実平原方形周溝墓の出土品は2006年に国宝に指定され、糸島市の伊都国歴史博物館で展示されています。遺跡は「平原歴史公園」として整備されています。

平原歴史公園
平原歴史公園糸島市有田
桜井二見ヶ浦の夫婦岩
桜井二見ヶ浦の夫婦岩糸島市志摩桜井

「糸島」という名前

史実「糸島」は、古くからの郡名「怡土(いと)郡」と「志摩郡」が1896年に合わさってできた「糸島郡」に由来します。怡土は伊都国の「伊都」につながる名前と考えられています。2010年には前原市・二丈町・志摩町が合併して糸島市が生まれました。

史実糸島半島の北西の海岸、桜井二見ヶ浦(糸島市志摩桜井)には、海の中に並ぶ二つの岩「夫婦岩」があり、岩の間には大しめ縄が張られています。岩の手前の浜には白い鳥居が立ち、夏至のころには二つの岩の間に夕日が沈みます。桜井神社の神事として、大しめ縄は毎年掛け替えられています。

ここを見る:伊都国歴史博物館の大鏡

伊都国歴史博物館の3階常設展示室では、国宝に指定された平原遺跡の銅鏡が展示されています。直径46.5cmの大鏡を前にすると、1800年前の王がどれほどの力を持っていたかが実感できます。4階の展望スペースからは、伊都国の範囲とされる糸島平野が見渡せます。

今の糸島

史実糸島は、福岡市の中心部から電車や車で約30〜40分。海沿いにはカフェや工房が並び、冬には漁港の牡蠣小屋がにぎわいます。古代の外交の玄関だった土地が、今は福岡の人々の週末の行き先になっています(観光の部屋)。

主な参考資料:伊都国歴史博物館資料/糸島市「糸島市の歴史」/『三国志』魏書東夷伝倭人条(魏志倭人伝)/国指定文化財等データベース「福岡県平原方形周溝墓出土品」/桜井神社公式情報

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