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03 — HIDDEN FAITH
潜伏キリシタンの250年
禁教の時代、神父のいない村で、人々は祈りの言葉と教会暦を親から子へ伝え続けました。そして1865年、完成したばかりの教会で、一人の女性が神父にささやきます。「わたしたちの心は、あなたと同じです」。
ラベルの意味:史実記録で裏づけ 有力説多くの研究・資料が支持 伝承言い伝え 都市伝説噂・地元の語りぐさ
「小ローマ」と呼ばれた町
開港からしばらくの長崎は、教会が建ち並ぶキリシタンの町でした。有力説当時の宣教師の記録などから、長崎は「小ローマ」とも呼ばれたといわれます。
史実しかし1587年に豊臣秀吉がバテレン追放令を出し、1597年には京都や大坂で捕らえられた宣教師と信徒26人が長崎の西坂の丘で処刑されました。日本二十六聖人です。さらに1614年、江戸幕府は全国に禁教令を出し、宣教師は国外へ追放されました。
島原・天草一揆と「絵踏」
史実1637年、重い年貢と弾圧に苦しんだ島原・天草の人々が一揆を起こし、原城に立てこもりました(島原・天草一揆)。翌1638年に鎮圧されると、幕府は取り締まりをいっそう強めます。
長崎では毎年正月、キリストやマリアの像を踏ませて信者でないことを確かめる絵踏が行われました。踏むための像(踏絵)は長崎奉行所が管理していました。人々は像を踏み、家に帰ってから許しを祈った、と伝えられています。
神父のいない250年
表向きは仏教徒として暮らしながら、人々は信仰を守り続けました。これが潜伏キリシタンです。村の中に指導役を置き、洗礼を授け、教会の暦に従って祈りの日を守りました。祈りの言葉「オラショ」は、ラテン語やポルトガル語の響きを残したまま口伝えで受け継がれていきます。
ここを見る:マリア観音
潜伏キリシタンは、観音像をマリアに見立てて祈ることがありました。一見すると子を抱いた観音像ですが、そこに込められていたのは別の祈りです。資料館や教会で見られることがあります。
1865年、「信徒発見」
史実開港後、居留地の外国人のために建てられた大浦天主堂は、1864年に完成しました。翌1865年3月17日、浦上の村人たちが天主堂を訪れ、そのうちの一人の女性がプティジャン神父に信仰を打ち明けます。250年近く途絶えていたと思われていた信仰の存在が明らかになった瞬間で、「信徒発見」と呼ばれています。
プロジェクトX的瞬間:天主堂の静かなささやき
伝えられる言葉は「ワレラノムネ アナタノムネトオナジ(わたしたちの心は、あなたの心と同じです)」。そして「サンタ・マリアの御像はどこ?」と尋ねたといいます。この知らせはローマ教皇にも届き、「東洋の奇跡」として世界を驚かせました。
史実しかし禁教はまだ続いていました。1867年、浦上の信徒たちが大量に捕らえられ、多くが各地へ流罪となります(浦上四番崩れ)。キリスト教禁止の高札が撤去されたのは、1873年のことでした。


「潜伏キリシタンは皆カトリックに戻った」
実際には、禁教が解かれたあともカトリックに合流せず、先祖から受け継いだ形の信仰を守り続けた人々もいた。彼らは「かくれキリシタン」と呼ばれ、区別されることが多い。
世界遺産は12の資産
大浦天主堂、原城跡、外海や五島の集落など12の資産で構成される。「潜伏」の時代に信仰を守った集落の姿そのものが評価された。
主な参考資料:長崎県「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」/大浦天主堂キリシタン博物館/日本二十六聖人記念館