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06 — BAKUMATSU

幕末の長崎と志士たち

1859年の開港で、長崎の丘には外国人の住む洋館が建ち並びました。武器と船と情報が行き交う港には、坂本龍馬をはじめ、時代を動かそうとする若者たちが集まります。そして、その姿を一人の写真家が撮っていました。

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丘の上の居留地

史実1859年、長崎は横浜・函館とともに自由貿易港として開かれました。出島のオランダ商館の役目は終わり、港を見下ろす南山手・東山手の丘には、各国の商人が住む外国人居留地がつくられます。石畳のオランダ坂は、この居留地の坂道です。

トーマス・グラバー ― 丘の上の商人

史実スコットランド出身のトーマス・グラバーは1859年に来日し、長崎で商会を開きました。茶の輸出から始め、やがて艦船や武器の取引で幕末の諸藩と深く関わります。1863年に建てられた彼の住まいは、現存する日本最古の木造洋風建築とされ、グラバー園の中心として公開されています。

グラバーは、長州藩の若者たちがイギリスへ密航するのを助けたことでも知られます。のちの伊藤博文らを含む「長州ファイブ」です。萩ヒストリアの長州ファイブの部屋もあわせてどうぞ。

亀山社中 ― 日本初の「会社」?

史実1865年、坂本龍馬らは長崎の亀山に亀山社中を結成します。薩摩藩の支援を受け、船を使った物資の運搬や貿易を行う組織でした。社中は、薩摩藩の名義で武器や艦船を買い入れて長州藩に渡すなど、対立していた薩摩と長州を結ぶ役目を果たします。1867年には土佐藩の組織として海援隊に改められました。

都市伝説

「亀山社中は日本初の株式会社」

よく聞く言い方だが、現代の株式会社と同じ仕組みだったわけではない。「日本の商社の先がけ」くらいに受け取るのが正確。

史実

薩長を結んだ物流

社中の取引が、薩摩と長州の関係を実務の面から近づけ、1866年の薩長同盟へとつながっていった。

ここを見る:龍馬のぶーつ像と亀山社中記念館

風頭山のふもとの坂道を上ると、亀山社中の跡に建つ記念館があります。近くの広場には、大きなブーツの像が置かれていて、履いて記念撮影ができます。龍馬がブーツを履いた写真で知られることにちなんだものです。

上野彦馬 ― 龍馬を撮った男

史実長崎の上野彦馬は、オランダ人から化学や写真術を学び、1862年に長崎で写真館(上野撮影局)を開いた、日本の写真の先駆者の一人です。多くの幕末の志士や外国人がここで写真を撮りました。

有力説ブーツを履き、台に肘をかけて立つ有名な坂本龍馬の写真は、上野彦馬の撮影局で撮られたとする説が有力です(撮影者は弟子の井上俊三とする説もあります)。

旧グラバー住宅
旧グラバー住宅南山手
風頭公園の坂本龍馬之像
坂本龍馬之像(風頭公園)風頭町

バタフライエフェクト:港に集まった「情報」

長崎には、外国の新聞、武器、蒸気船、そして外国人商人という「情報源」がありました。江戸や京都の議論では手に入らない実物と実務に触れられる場所だったことが、若い志士たちを長崎に引き寄せたのです。

主な参考資料:グラバー園公式サイト/長崎市亀山社中記念館/長崎大学附属図書館「幕末・明治期日本古写真」

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