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04 — HIRADO & KOXINGA

平戸と鄭成功

長崎が開港する前、ヨーロッパの船が向かったのは平戸でした。オランダとイギリスが商館を置いたこの港町で、1624年、一人の男の子が生まれます。のちに台湾からオランダ勢力を退け、「国姓爺」と呼ばれる鄭成功です。

ラベルの意味:史実記録で裏づけ 有力説多くの研究・資料が支持 伝承言い伝え 都市伝説噂・地元の語りぐさ

出島より前の「世界の港」

史実長崎県北部の平戸は、中世から海の交易で栄えた港町です。1550年にはポルトガル船が入港し、南蛮貿易が始まりました。1609年にはオランダが、1613年にはイギリスが平戸に商館を開きます。

イギリス商館は1623年に閉鎖され、オランダ商館も1641年に長崎の出島へ移されました。出島の時代の前には、平戸の時代があったのです。いまも平戸には、1639年に建てられたオランダ商館の倉庫が復元され、当時の港の姿を伝えています。

1550ポルトガル船が平戸に入港
1609オランダ商館が開かれる
1641オランダ商館、出島へ移転

鄭成功 ― 平戸で生まれた台湾の英雄

史実鄭成功は1624年、平戸で生まれました。父は、東シナ海で大きな勢力を持った海商の鄭芝龍、母は平戸の田川マツです。幼いころは「福松」と呼ばれ、7歳ごろに父のいる中国へ渡りました。

中国では明の王朝が滅びようとしていました。鄭成功は明の皇族から国の姓である「朱」を賜ったことから、「国姓爺(こくせんや)」と呼ばれるようになります。清と戦い続けた彼は、1661年に台湾へ渡り、当時台湾を支配していたオランダ東インド会社のゼーランディア城を攻め、1662年、オランダ勢力を台湾から退けました。

日本と台湾をつなぐ一人の人物

台湾では、鄭成功はオランダを追い払い、台湾開発の基礎を築いた人物として、今も「開台聖王」などと呼ばれて広く敬われています。台南には鄭成功をまつる延平郡王祠があります。平戸と台南は、一人の人物で結ばれているのです。

ここを見る:児誕石と鄭成功記念館

平戸市川内町の海岸には、母マツが貝拾いの途中で産気づき、鄭成功を産んだと伝わる「児誕石(ちごいし)」があります伝承。近くの鄭成功記念館では、平戸での生い立ちが紹介されています。平戸では鄭成功の誕生を祝う祭りも開かれてきました。

江戸の大ヒット『国性爺合戦』

史実鄭成功の物語は、日本でも大評判になりました。1715年、近松門左衛門が人形浄瑠璃『国性爺合戦』を書き、17か月におよぶ異例のロングランを記録したといわれます。日本人の母を持つ英雄が大陸で活躍する物語は、江戸の人々の心をつかみました。

平戸に眠るイギリス人

史実徳川家康に仕えたイギリス人航海士ウィリアム・アダムス(三浦按針)は、平戸のイギリス商館に関わり、1620年に平戸で亡くなりました。平戸には彼の墓とされる場所が残っています。

平戸オランダ商館
平戸オランダ商館平戸市
鄭成功ゆかりの地
鄭成功記念館・児誕石平戸市川内町

主な参考資料:平戸市「平戸オランダ商館」/平戸市「鄭成功記念館」/台南市 延平郡王祠の案内

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