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07 — INDUSTRIAL HERITAGE
軍艦島と近代化遺産
長崎港の沖合に、軍艦のような姿で浮かぶ小さな島があります。端島、通称「軍艦島」。海底炭鉱のために生まれたこの島には、日本最古の鉄筋コンクリート造アパートが建ち、かつては世界一ともいわれる人口密度で人々が暮らしていました。
ラベルの意味:史実記録で裏づけ 有力説多くの研究・資料が支持 伝承言い伝え 都市伝説噂・地元の語りぐさ
海底の石炭が、島を大きくした
端島は、長崎港から南西へ約19キロの海に浮かぶ島です。もとは小さな岩礁でしたが、海底に眠る良質な石炭を掘るために、明治以降、何度も埋め立てられて大きくなりました。現在の大きさは、南北約480メートル、東西約160メートル、周囲約1.2キロ。
史実1890年に三菱が経営に乗り出すと、島には炭鉱で働く人々とその家族が住み、学校、病院、商店、映画館までそろった一つの町ができました。
1916年、日本最古の鉄筋コンクリート造アパート
史実限られた土地に多くの人が住むため、島には高層の集合住宅が次々に建てられました。1916年に建てられた30号棟は、日本で最も古い鉄筋コンクリート造のアパートとされます。当初は4階建てで、のちに増築されて7階建てになりました。中央が吹き抜けになった「ロの字」形の建物です。
有力説最盛期の1960年ごろには約5,300人が暮らし、人口密度は当時の東京の9倍以上、世界一だったともいわれます。1974年に炭鉱が閉山すると、住民はわずか数か月のうちに島を離れ、端島は無人島になりました。
ここを見る:「軍艦」に見える角度
上陸ツアーの船から島を眺めると、岸壁と高層アパートが重なって、戦艦のように見える瞬間があります。「軍艦島」という呼び名は、大正時代に当時の戦艦「土佐」に似ていると言われたことから広まったとされます。
造船の町・長崎
史実長崎の近代化を支えたもう一つの柱が造船です。幕末の1857年に幕府が建設を始めた長崎鎔鉄所がはじまりで、のちに三菱の長崎造船所となりました。1909年にイギリスから導入されたジャイアント・カンチレバークレーンは、100年以上たった今も稼働しています。
史実2015年、端島炭坑、長崎造船所のクレーン、旧グラバー住宅などが、「明治日本の産業革命遺産」の一部として世界遺産に登録されました。


「軍艦と間違えて攻撃された」
戦時中、アメリカの潜水艦が島を本物の軍艦と見誤って攻撃した、という話がよく語られる。ただし確かな記録は見つかっていない。
世界遺産になった島
2015年、「明治日本の産業革命遺産」の構成資産として登録。上陸ツアーでは、見学通路から島の一部を見ることができる。
なお、端島を含む産業遺産については、戦時中に朝鮮半島などから動員された人々の労働をめぐる歴史も指摘されています。光と影の両方を知ることが、この遺産を理解する手がかりになります。
主な参考資料:長崎市「軍艦島(端島)」/産業遺産情報センター/三菱重工「長崎造船所史料館」