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01 — 二つの正宮

外宮から、内宮へ。
順番には理由がある。

伊勢神宮の中心は二つ。天照大御神をまつる内宮(皇大神宮)と、その食事をつかさどる豊受大御神をまつる外宮(豊受大神宮)です。5kmほど離れた二つの宮は、屋根の飾りの切り方から参道の歩く側まで、細かく作法が違います。違いを知ると、伊勢参りは格段に面白くなります。

外宮正宮の板垣と御門
外宮・豊受大神宮

この部屋の問い

神さまの「食事係」が、先に拝まれる。

THE QUESTION

格上の内宮より、なぜ外宮を先に参るのか。

伊勢では昔から「外宮先祭(げくうせんさい)」といって、ほとんどの祭典が外宮から先に行われます。参拝もそれにならうのが古くからの習わしです。その背景には、外宮が生まれた理由そのものがあります。

外宮の由来を記すのは、平安時代初期の延暦23年(804)に神宮から朝廷へ提出された『止由気宮儀式帳(とゆけぐうぎしきちょう)』です。それによると、雄略天皇の夢に天照大御神が現れ、「一人でいては食事も安らかにとれない。丹波国にいる等由気大神(とゆけのおおかみ)を、私の食事の世話をする神として呼び寄せてほしい」と告げたといいます。こうして迎えられたのが豊受大御神で、外宮の始まりとされます。

つまり外宮は、天照大御神の食事のために生まれた宮です。その役目は今も続いていて、外宮では1500年ほどの間、毎日朝夕の二回、天照大御神をはじめとする神々に食事を供える「日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)」が一日も欠かさず行われています。食事を整える側から始め、食事を召し上がる側へ――外宮から内宮へという順番は、この関係を映していると考えられています。

外宮だけ、あるいは内宮だけに参ることを、伊勢では昔から「片参り」と言って嫌いました。地元の人が観光客に「外宮さんにも行った?」と聞くのは、単なる世間話ではなく、この感覚の名残です。

見分け方の極意

屋根を見れば、どちらの宮かわかる

二つの正宮は同じ「唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)」ですが、よく見ると屋根の上の飾りが違います。屋根の両端で交差して天に突き出す板を千木(ちぎ)、棟の上に横たわる円筒形の木を鰹木(かつおぎ)と呼びます。

内宮(皇大神宮) 千木の先端は水平(内削ぎ) 鰹木は10本(偶数) 外宮(豊受大神宮) 千木の先端は垂直(外削ぎ) 鰹木は9本(奇数)
千木の切り方と鰹木の数
よく語られる話

内削ぎ・偶数は女神、外削ぎ・奇数は男神

内宮の天照大御神は女神で内削ぎ・10本、外宮の豊受大御神も女神なのに外削ぎ・9本……とすると、この「法則」はすでに外宮で崩れています。

実際のところ

全国の神社では例外だらけ

千木・鰹木の形と祭神の性別を結びつける説は江戸時代ごろから広まったものですが、全国の神社を見ると当てはまらない例が非常に多く、確かな決まりとは言えません。

ほかにも、二つの宮にはこんな違いがあります。

外宮(豊受大神宮)内宮(皇大神宮)
祭神豊受大御神(衣食住・産業の神)天照大御神(皇祖神)
入口の橋火除橋(ひよけばし)宇治橋(長さ約102m)
参道の歩き方左側通行右側通行
手を清める場所手水舎手水舎と五十鈴川の御手洗場
千木/鰹木外削ぎ/9本内削ぎ/10本
最寄り駅伊勢市駅から徒歩約5分駅からはバスで約15〜20分

参道の左右が違うのはなぜ? ――理由は手水舎の位置です。外宮では参道の左手に、内宮では右手に手水舎があるため、自然とそちら側を歩く流れができたと言われています。混雑時には誘導があるので、それに従えば問題ありません。

外宮・玄人の歩き方

見落とされがちな、外宮の五つのポイント

三ツ石(川原祓所)

参道脇の、しめ縄で囲まれた三つ重ねの石。手をかざす人を見かけますが、ここは遷宮などの際に神職や奉仕者をお祓いする神事の場所です。触れたり手をかざしたりせず、そっと見守るのが作法です。

亀石

別宮へ向かう途中の小さな橋になっている、亀の形をした大きな石。背後の高倉山にある古墳の石室の石を運んだもの、という言い伝えがあります。

高倉山の「天岩戸」

外宮の背後にそびえる高倉山の山頂付近には、県内最大級の横穴式石室を持つ高倉山古墳があります。江戸時代には「天岩戸」として多くの参拝者が訪れましたが、現在は神域として立ち入りできません。

多賀宮への98段

外宮の第一別宮・多賀宮は、98段の石段を上った先に鎮まります。豊受大御神の荒御魂(あらみたま)をまつり、正宮に次いで重んじられています。

御饌殿(みけでん)

日別朝夕大御饌祭が行われる御殿。正宮の瑞垣の内側にあるため外からは見えにくいのですが、板を井桁に組んだ「板校倉造」の、神宮の中でもとりわけ古い形式を伝える建物です。

せんぐう館と勾玉池

勾玉池のほとりに立つ「せんぐう館」には、外宮正殿の一部を原寸大で再現した模型があります。遷宮の技術を間近で見られる、数少ない場所です。

内宮・玄人の歩き方

宇治橋から正宮まで、見るべきもの

宇治橋の「木除杭(きよけぐい)」――橋の上流側に並ぶ杭の列は、大雨の際に流れてくる流木から橋脚を守るためのもの。遷宮とともに架け替えられる橋を、20年間守る縁の下の力持ちです。

五十鈴川の御手洗場(みたらし)――参道右手の石畳から川に下りて手を清めます。この石畳は、五代将軍徳川綱吉の母・桂昌院が寄進したものと伝えられています。

瀧祭神(たきまつりのかみ)――御手洗場のそばに鎮まる所管社で、社殿がなく、石畳の上に石神をおまつりしています。昔から「とりつぎさん」と呼ばれ、天照大御神へ願いを取り次いでくださる神さまとして親しまれてきました。

撮影は石段の下まで――正宮の石段の下からは撮影できますが、石段を上った先の御門の内側は撮影禁止です。ここから先は、自分の目と記憶に残してください。

正宮で一般の参拝者が拝むのは、四重の垣根のいちばん外側に近い「外玉垣南御門」の前です。その奥の御垣内での参拝(御垣内参拝)は、神宮に奉賛した人などに限って許されています。正装が求められるので、地元では「スーツで来ている人は御垣内」とすぐわかります。

「私幣禁断」の名残――古代の神宮では、天皇以外の者が個人的な供え物(幣帛)をすることが禁じられていました(私幣禁断)。「伊勢神宮では個人的なお願いをせず、感謝だけを伝えるもの」と言われるのはこの名残とされます。ただし現在は、神楽殿で個人の祈祷(御饌・御神楽)も受け付けています。

神宮の暦

神宮の「お正月」は、10月にある

神宮では年間1500回ほどの祭典が行われますが、その中で最も重要とされるのが、毎年10月の神嘗祭(かんなめさい)です。その年に収穫された新穀を、最初に天照大御神に捧げる祭りで、神宮ではこの時期に御装束や祭器具を新しくするため、「神宮の正月」とも呼ばれます。式年遷宮も、じつは「20年に一度の大規模な神嘗祭」と位置づけられています。

祭典の最高位の奉仕者を「祭主」といい、戦後は皇族や元皇族の女性が務めてきました。2017年からは、天皇陛下の妹で元皇族の黒田清子さんが祭主を務めています。

白い斎服の神職とともに進む祭主
祭典に向かう祭主と神職神宮
毎日

日別朝夕大御饌祭

外宮の御饌殿で朝夕二回。雨の日も、元日も欠かさない。

2月

祈年祭

その年の豊作を祈る。

6月・12月

月次祭

神嘗祭と合わせて「三節祭」と呼ばれる重要な祭り。

10月

神嘗祭

新穀を捧げる、神宮で最も重要な祭り。

11月

新嘗祭

宮中の新嘗祭に合わせて、勅使が参向する。

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神宮は、二つの宮だけではない

伊勢神宮とは、じつは125の宮社の総称です。山奥の「遥宮」から、本宮の座を主張した騒動まで。

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