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04 — 参宮街道の裏面史
伊勢参り、
大神宮にも ちょっと寄り。
外宮と内宮を結ぶ参宮街道の途中、「間の山(あいのやま)」と呼ばれる丘の上に、かつて江戸屈指の歓楽街がありました。最盛期には妓楼70軒、遊女1000人。芝居小屋が立ち、伊勢音頭の総踊りが夜ごと繰り広げられた町・古市。神さまの町のすぐ隣に、なぜこれほどの遊興の町が生まれたのでしょうか。

この部屋の問い
神域の隣に、なぜ遊郭があったのか。
THE QUESTION
聖と俗は、なぜこれほど近くに並んでいたのか。
江戸時代の川柳に「伊勢参り 大神宮にも ちょっと寄り」という句があります。伊勢参りを口実に、本当の目当ては古市――という皮肉です。しかしこれは単なる笑い話ではなく、伊勢参りという旅の構造そのものを映しています。
長い旅の末に参拝を終えた人々は、「精進落とし」と称して、張り詰めた心をほどく場所を求めました。一生に一度の旅で、故郷から預かってきた講の資金を懐にした男たちにとって、古市は旅のもう一つのハイライトだったのです。
古市は、外宮と内宮のちょうど中間、約5kmの参宮街道のなかほどにあります。外宮を参ってから内宮へ向かう人も、内宮から戻る人も、必ずこの坂道を通りました。誰もが通る場所に、誰もが立ち寄りたくなる町ができた――それが古市の成り立ちです。
最盛期の古市
妓楼70軒、遊女1000人
古市が最も栄えたのは、18世紀後半の天明年間ごろとされます。当時の記録によれば、妓楼はおよそ70軒、遊女は1000人を数え、江戸の吉原、京の島原と並び称されるほどでした。なかでも備前屋・杉本屋・油屋などの大楼は、豪壮な建物と華やかなもてなしで知られていました。
伊勢音頭の総踊り
古市の名物は、揃いの衣装の遊女たちが舞台に並んで踊る「伊勢音頭」の総踊りでした。大楼の広間には専用の舞台が設けられ、客はそれを見物しながら酒宴を楽しんだといいます。
役者の試験場
古市には芝居小屋もあり、上方の役者が数多く出演しました。目の肥えた全国の参拝客を相手にする古市の舞台は、役者にとって一種の試験場だったとも言われます。
間の山のお杉・お玉
古市の坂道では、「お杉・お玉」と呼ばれる女芸人が三味線を弾きながら唄い、参拝客が投げる銭を巧みによけてみせる芸で人気を集めました。当時の旅行記や案内書に繰り返し登場する、間の山の名物です。
全国から集まる情報
全国の人々が集まる古市は、流行や情報の交差点でもありました。伊勢音頭が全国に広まったのも、古市で遊んだ参拝客が故郷に持ち帰ったからだと考えられています。
油屋騒動
事件から2か月で、歌舞伎になった
寛政8年(1796)の夏、古市の大楼・油屋で、ひとつの事件が起きます。宇治の医師・孫福斎(まごふく いつき)が、なじみの遊女お紺をめぐる行き違いから逆上し、刀を振るって店の者や客を次々と殺傷したのです。死傷者は9人にのぼったとされ、斎は逃走したのち自害しました。
世間を驚かせたこの事件は、驚くほどの速さで舞台化されます。わずか2か月ほどのうちに、大坂で歌舞伎『伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)』として上演され、大評判となりました。現代のワイドショーさながらのスピードです。この演目は現在も上演が続く人気作で、古市の名を後世に伝えることになりました。
玄人の見どころ:古市の大林寺には、お紺と孫福斎の「比翼塚」があります。歌舞伎役者が上演の際に参ることもあると言われ、悲恋の物語として今も語り継がれています。
- 1796.5油屋で刃傷事件医師が遊女をめぐって逆上し、多数を殺傷
- 1796.7頃大坂で歌舞伎化『伊勢音頭恋寝刃』として上演、大当たり
- 以後古市と伊勢音頭の名が全国区に事件そのものが、古市という町の宣伝にもなった
- 現在上演が続く古典演目に油屋のお紺は、歌舞伎の代表的な役柄のひとつに
今の古市を歩く
痕跡を探して、間の山の坂道へ
明治以降、鉄道の開通で参拝の動線が変わると古市は次第に衰え、戦後の売春防止法の施行によって歓楽街としての歴史に幕を下ろしました。現在の古市は、静かな住宅地の中に、わずかにその面影を残すだけです。
麻吉旅館
江戸時代後期の創業と伝わる旅館。急な斜面に沿って木造の建物が階段状に連なる「懸崖造り」で、国の登録有形文化財です。古市の往時を今に伝える、ほぼ唯一の大きな建物です。
伊勢古市参宮街道資料館
古市の歴史や、歌舞伎『伊勢音頭恋寝刃』に関する資料、参宮街道の民俗資料を展示する小さな資料館。散策の出発点に。
大林寺
お紺と孫福斎の比翼塚がある寺。油屋騒動の舞台となった油屋の跡地も、この近くです。
参宮街道の坂道
外宮から内宮へ向かう旧道。今は車の少ない静かな道ですが、かつてはこの坂を数百万の人々が行き交いました。
古市は現在も「古市町」「中之町」などの地名とともに残っていますが、地元の人でも「昔は遊郭があった」ことを知らない若い世代が増えています。麻吉旅館は現役の旅館として営業しており、宿泊することで古市の坂道の夜を体験できます。
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門前町は、どう生き延びたのか
古市が衰えた一方で、内宮の門前町もまた、昭和の終わりに存亡の危機を迎えていました。