外宮へ続く参道の鳥居
外宮へ続く参道の鳥居
夜明けの五十鈴川に架かる宇治橋と鳥居、奥に神路山の稜線と正殿の千木を描いたイラスト

三重県伊勢市 歴史情報ポータル

二十年ごとに生まれ変わる、
千三百年の町。

伊勢は、日本人が千年以上にわたって「一生に一度は」と目指し続けた旅の終着点です。20年ごとに社殿を建て替える式年遷宮、1500年間一日も欠かさず続く神の食事、江戸の人口の6人に1人が動いたといわれる集団参詣、そしてそれを支えた旅行業者「御師」と歓楽街。ガイドブックが素通りする、伊勢の「仕組み」と「裏側」を集めました。

式年遷宮の舞台裏を読む 都市伝説を検証する

伊勢を読み解く、四つの鍵

なぜ、ここだけが
「別格」であり続けたのか。

日本に神社はおよそ8万。その中で伊勢だけが、正式名称に地名すら付かない「神宮」と呼ばれます。その理由を、このサイトでは四つの鍵から読み解きます。

一つは常若(とこわか)――20年ごとにすべてを新しくすることで「古びない」ことを選んだ仕組み。一つは御饌(みけ)――神に毎日食事を捧げ続けるための、塩・米・鮑・酒の自給システム。一つは参宮――御師というプロデューサーが全国から人を呼び込んだ、日本最古級の観光産業。そしてもう一つは神領――神宮とともに生き、今も御用材を曳き、白石を運ぶ町の人々。

サイトを歩く

十三の部屋

それぞれ独立して読めます。番組を選ぶように、気になるところから、どうぞ。

プロジェクト

式年遷宮

20年ごとに社殿を建て替える、1300年続く国家的プロジェクトの舞台裏。

  • 690年から続き、2013年で第62回
  • 御用材のヒノキは約1万本、総事業費は約550億円
  • 戦国期に120年以上途絶え、尼僧の托鉢で復活
  • 古い柱は宇治橋の鳥居となり、60年で三度働く
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構造

外宮と内宮

なぜ外宮から参るのか。千木の切り方、参道の左右、二つの宮の違い。

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地理

百二十五の宮社

「伊勢神宮」は125社の総称。山奥の遥宮から、本宮を名乗った騒動まで。

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経済

御師とおかげ参り

江戸の旅行代理店「御師」と、人口の6人に1人が動いた集団参詣。

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裏面史

古市

「伊勢参り 大神宮にもちょっと寄り」。参宮街道の歓楽街と油屋騒動。

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再生

門前町の再生

年間20万人まで落ち込んだ通りが、どうやって甦ったのか。

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食

神の食卓と伊勢の味

1500年休まない神の朝夕ごはん。伊勢うどんが柔らかい理由。

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参詣路

二見と朝熊山

禊の浜から始まり、朝熊山で締める。「片参り」にならない伊勢参り。

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伝承

伝説と都市伝説

六芒星の石灯籠、カップルで行くと別れる…噂を史料で検証する。

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近代

神都の近代

宇治山田市、神都線、参宮急行。「神都」と呼ばれた町の近代。

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人物

伊勢ゆかりの人物

遷宮を復活させた尼僧、俳諧の祖となった神官、真珠王。

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常識

地元の常識

一年中の注連縄、朔日参り、お白石持ち。伊勢の人には当たり前のこと。

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巡る

観光名所

定番の見どころに、玄人の視点を一つずつ添えたスポット集。

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まず読むなら

宇治橋の鳥居は、
かつて神殿の柱だった。

内宮の入口、宇治橋の両端に立つ大鳥居。実はこれ、20年間正殿を支えた「棟持柱(むなもちばしら)」の再利用です。役目を終えた柱は削り直されて鳥居となり、さらに20年後には鈴鹿の「関の追分」と桑名の「七里の渡し」の鳥居へ。一本のヒノキが、60年かけて三度お勤めをする――このリサイクルの精神こそ、遷宮という仕組みの核心です。

式年遷宮の部屋へ →
遷宮まで正殿の棟持柱20年間、社殿を支える次の20年宇治橋の鳥居さらに20年、参拝者を迎えるさらに20年関・桑名の鳥居街道の入口でまた20年内宮の旧正殿の棟持柱は宇治橋内側の鳥居に、外宮のものは外側の鳥居に転用される
古材のリレー(模式図)

写真で見る

伊勢の風景、いくつか

言葉だけでは伝わらない部分を、実際の風景で。各写真は関連するページへのリンクにもなっています。

地理で見る

外宮から内宮へ、一本の道

伊勢参りの基本動線は、宮川を渡って外宮、間の山(古市)を越えて内宮。二見は参拝前に身を清める浜、朝熊山は締めくくりの山でした。

伊勢湾 宮川 五十鈴川 朝熊山 外宮 内宮 古市(間の山) 河崎 二見 伊勢市駅 参宮街道 N 模式図・縮尺は正確ではありません
外宮と内宮はおよそ5km。その中間の丘陵に古市がある

数字で見る

伊勢を読むための、六つの数字

125社
神宮を構成する宮社の数

正宮2・別宮14・摂社43・末社24・所管社42。すべて合わせて「神宮」です。

20年
式年遷宮の周期

社殿だけでなく、装束・神宝714種1576点もすべて新調されます。

1300年余
遷宮の歴史

第1回は持統天皇4年(690)。戦国期に120年以上の中断を挟みつつ、2013年が第62回。

2回/日
神の食事

外宮の日別朝夕大御饌祭。雨の日も元日も、約1500年続くとされます。

約400万人
文政13年(1830)のおかげ参り

数か月で400万〜500万人が伊勢へ向かったとされます(諸説あり)。

約5km
外宮〜内宮

この間の丘陵「間の山」に、かつての歓楽街・古市がありました。

概観

伊勢、駆け足の年表

詳しい物語は各ページで。ここでは全体の流れだけを。

垂仁天皇の代(伝承)

倭姫命、天照大神を五十鈴川のほとりに祀る

『日本書紀』によれば、倭姫命が大神の鎮まる地を求めて各地を巡り、伊勢にたどり着いたとされる。

雄略天皇の代(伝承)

外宮の創祀

天照大神の神託により、丹波国から食物の神・豊受大御神が迎えられたと伝わる。

690

第1回 式年遷宮(内宮)

天武天皇が定め、持統天皇の代に始まったとされる。以後20年ごとの建て替えが制度化される。

15〜16世紀

遷宮、120年以上の中断

戦乱と財政難で遷宮が途絶える。尼僧・慶光院清順らの勧進により1563年に外宮、1585年に内宮が復興。

1705 / 1771 / 1830

おかげ参り、ほぼ60年周期で発生

数百万人規模の集団参詣。沿道の人々は食事や宿を無償で振る舞った(施行)。

1869

明治天皇、神宮を親拝

天皇が自ら神宮に参拝したことが確かな記録として残る最初の例とされる。

1871

御師制度の廃止

江戸時代を通じて参宮を支えた御師が、明治政府の神宮改革で廃止される。

1993

おかげ横丁 開業

第61回遷宮の年、衰退していた内宮門前の再生プロジェクトとして誕生。

2013 → 2033

第62回遷宮、そして次へ

2013年秋に遷御。次の第63回に向けた準備は、2020年代半ばから再び動き出している。

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