トップ / お好み焼き・牡蠣・もみじ饅頭
07 — FOOD
お好み焼き・牡蠣・もみじ饅頭
鉄板の上で重ねて焼くお好み焼き、瀬戸内の海で育つ牡蠣、宮島生まれのもみじ饅頭。広島の味の多くは、戦後の暮らしや、海と島の恵みと深く結びついています。一皿ごとに、街の歴史が見えてきます。
ラベルの意味:史実記録で裏づけ 有力説多くの研究・資料が支持 伝承言い伝え 都市伝説噂・地元の語りぐさ
一銭洋食から、お好み焼きへ
史実戦前の広島には、水で溶いた小麦粉を薄く焼き、ねぎなどをのせてソースをかけた「一銭洋食」という子ども向けの軽食がありました。駄菓子屋などで、一銭ほどの安さで売られていたことからこう呼ばれます。
有力説戦後、食べるものが乏しいなか、焼け跡の屋台で一銭洋食にキャベツなどを重ねて焼く店が増え、やがて焼きそばを重ねる今のスタイルが広まっていったと考えられています。材料を混ぜずに生地・キャベツ・麺・卵を重ねて焼くのが広島のお好み焼きの特徴です。市の中心部の新天地周辺には、屋台の流れをくむ店が集まる「お好み村」があります。
牡蠣 ― 瀬戸内の海の畑
有力説広島湾の牡蠣の養殖は、室町時代の終わりから江戸時代のはじめごろに始まったといわれます。川が運ぶ山の栄養と、波の穏やかな海が、牡蠣を育てるのに適していました。
史実江戸時代には、広島の牡蠣を船に積んで大坂へ運び、川に停めた船の上で牡蠣料理を出す「かき船」が人気を集めました。戦後は、いかだから牡蠣を吊るして育てる方法が広まって生産量が大きく伸び、今では全国の養殖牡蠣の約6割が広島県産です。
もみじ饅頭とレモン
史実もみじ饅頭は、明治の終わりごろ、宮島の紅葉谷にあった老舗旅館の依頼を受けて、和菓子職人の高津常助が考案したとされます。もみじの名所にちなんだ形の焼き菓子は、宮島を代表するおみやげになりました。伊藤博文にまつわる誕生の話は、伝説の部屋で紹介しています。
史実瀬戸内の島々は温暖で雨が少なく、かんきつ類の栽培が盛んです。なかでもレモンは、広島県が国内生産量の日本一を誇ります。生口島や大崎下島などの段々畑で、明治のころから栽培が続けられてきました。




ここを見る:西条の酒蔵通り
東広島市の西条には、赤れんがの煙突と白壁の酒蔵が並ぶ酒蔵通りがあります。広島の水は、酒造りに向くとされた硬水とは違う軟水。明治時代、三浦仙三郎が軟水でもよい酒を造る方法を工夫し、広島の酒は全国に知られるようになりました。
「広島焼き」とは呼ばないで?
県外では「広島焼き」とも呼ばれますが、地元では単に「お好み焼き」。関西風と区別するために生まれた呼び名に、少し複雑な気持ちになる広島の人もいるようです。注文するときは、「そば入り」か「うどん入り」かを選ぶのが広島流です。
主な参考資料:広島県「かき養殖」「レモン」/農林水産省「海面漁業生産統計」/西条酒蔵通り/宮島観光協会