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08 — FOOD

沖縄そば・チャンプルー・泡盛

そば粉を使わない「そば」、缶詰の肉が主役の家庭料理、タイ米で造る酒。沖縄の食卓には、琉球王国の交易と、アメリカ世の記憶が重なり合っています。一皿ごとに、島の歴史が見えてきます。

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そばなのに、そば粉を使わない

史実沖縄そばは、小麦粉でつくる太めの麺に、豚骨とかつおのだしのスープを合わせた料理です。もともとは木を燃やした灰の上澄み(灰汁)を使って麺を打っていました。沖縄で「そば」といえば、この沖縄そばのことです。

史実ところが1976年、そば粉の割合が少ない麺を「そば」と表示するのは問題だとして、公正取引委員会から待ったがかかります。「沖縄そば」の名前が使えなくなるかもしれない。地元の製麺業者たちは交渉を重ね、1978年10月17日、「本場沖縄そば」の名称が認められました。この日にちなんで、10月17日は「沖縄そばの日」になっています。

豚は「鳴き声以外、全部食べる」

沖縄では「豚は鳴き声以外はすべて食べる」といわれます。三枚肉のラフテー、足のテビチ、耳の皮のミミガー、内臓の汁物・中身汁。豚一頭を余すところなく使う料理が、今も食卓に並びます。

有力説豚の飼育が広まった背景の一つに、中国からの冊封使の存在があるといわれます。数百人規模の使節団が数か月滞在するあいだ、大量の豚肉が必要になったためです。サツマイモの普及で、豚のえさが確保しやすくなったことも大きかったと考えられています(トップのバタフライエフェクト)。

チャンプルーとポーク

チャンプルーは、豆腐と野菜などをいためた料理で、「まぜこぜ」という意味があります。インドネシア語やマレー語で「まぜる」を意味する言葉と関係がある、という説もあります。ゴーヤー、ソーミン(そうめん)、フー(麩)など、主役の具材によって名前が変わります。

史実チャンプルーに欠かせないのがポーク、つまりランチョンミートの缶詰です。戦後、アメリカ軍の食料として持ち込まれたものが家庭に広まり、ポーク玉子(ポークと卵焼き)は沖縄の朝ごはんや弁当の定番になりました。

アメリカ世が残した味

史実1963年、日本で最初のA&Wの店が、本島中部の北中城村屋宜原(やぎばる)に開店しました。ルートビアやハンバーガーを車に乗ったまま注文できるドライブインは、当時の沖縄の人々にとって、アメリカそのものでした。

史実タコライスは1984年、キャンプ・ハンセンのある金武町で生まれました。食堂の店主が、お腹をすかせた米兵たちのために、タコスの具をご飯にのせて安く、たっぷり出したのが始まりです。今では沖縄の学校給食にも登場する、県民食の一つです。

沖縄そば
沖縄そば県内各地
ゴーヤーチャンプルー
ゴーヤーチャンプルー県内各地
タコライス
タコライス金武町
泡盛の甕
泡盛県内各地

泡盛 ― タイ米と黒麹の酒

史実泡盛は、沖縄の伝統的な蒸留酒です。原料には主にタイ米(インディカ米)が使われ、沖縄独特の黒麹菌で米全部を麹にしてから、発酵・蒸留します。

有力説蒸留の技術は、15世紀ごろ、交易相手だったシャム(タイ)から伝わったという説が有力です。王国の時代、泡盛づくりは首里の三つの地区(首里三箇)に限って許され、中国や日本への贈り物としても重んじられました。3年以上寝かせたものは古酒(クース)と呼ばれ、長く寝かせるほどまろやかになります。

ここを見る:戦争を生き延びた黒麹

沖縄戦で、首里の酒造所や、100年を超える古酒の多くが失われました。ところが1998年、戦前に採取されて東京大学に保存されていた黒麹菌が見つかり、首里の酒造所がその菌で泡盛を復活させました。50年以上眠っていた菌が、ふたたび酒を生んだのです。

「26ショック」

沖縄は長寿の県として知られてきました。ところが2000年の都道府県別の平均寿命で、沖縄の男性は全国26位に下がり、「26ショック」と呼ばれました。戦後の食生活の変化、車社会による運動不足などが原因として指摘されています。伝統の食に何が詰まっていたのか、あらためて見直されるきっかけにもなりました。

主な参考資料:沖縄生麺協同組合「沖縄そばの日」/沖縄県酒造組合「泡盛の歴史」/厚生労働省「都道府県別生命表」

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